第3384冊 プロフェッショナルの条件――いかに成果をあげ、成長するか P・F. ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳)

 

 

 

 

現存する最古の修辞論、プラトンの「パイドン」によれば、ソクラテスは「大工と話すときは、大工の言葉を使わなければならない」と説いた。

 

 

コミュニケーションは、受け手の言葉を使わなければ成立しない。受け手の経験になる言葉を使わなければならない。説明しても通じない。経験にない言葉で話しても、理解されない。受け手の知覚能力を超える。コミュニケーションを行おうとするときには、「このコミュニケーションは、受け手の知覚能力の範囲内か、受け手は受け止められるか」を考える必要がある。

 

あらゆる事物に複数の側面があることを認識することは至難である。身をもって確認ずみのことでも、他の側面、裏側や別の面があること、しかもそれらの側面の様子が、自分の見ている側面とはまったく違うこと、したがって、それらの側面を見るかぎり、まったく違う理解をせざるをえないことがあることを認識することは至難である。だが、コミュニケーションを成立させるためには、受け手が何を見ているかを知らなければならない。また、それがなぜかを知らなければならない。

 

 

第二に、われわれは知覚することを期待しているものだけを知覚する。見ることを期待しているものを見、聞くことを期待しているものを聞く。事実、組織におけるコミュニケーションについての文献の多くは、期待していないものは反発を受け、この反発がコミュニケーションの障害になるとしている。だが、反発は、さして重要ではない。本当に重要なことは、期待していないものは受けつけられもしないことにある。見えもしなければ聞こえもしない。無視される。あるいは間違って見られ、間違って聞かれる。期待していたものと同じであると思われる。

 

 

人の心は、期待していないものを知覚することに対し、また期待するものを知覚できないことに抵抗する。もちろん期待に反しているであろうことをあらかじめ警告することはできる。しかし警告を発するためには、それそも知覚することを期待しているものが何かを知らなければならない。そのうえで、「期待に反している」ことを間違いなく伝える方策、つまり連続した心理状態を断ち切る一種のショックが必要となる。

 

 

受け手が見たり聞いたりしたいと思っているものを知ることなく、コミュニケーションを行うことはできない。受け手が期待するものを知って初めて、その期待を利用できる。あるいはまた、受け手の期待を破壊し、予期せぬことが起こりつつあることを強引に認めさせるためのショックが必要かどうかを知りうる。