第3394条件――いかに成果をあげ、成長するか P・F. ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳)

 

 

 

 

「得るべきところはどこか」を慎重に考えた結果が、今働いているところではないということであるならば、次に問うべきは、「それはなぜか」である。「組織の価値観になじめないからか」「組織が堕落しているからか」。もしそうであるならば、人は確実にだめになる。自らが価値あちとするところだったり、自分のことしか考えないことがある。さらに困ったことに、尊敬する上司が、実は上司としてもっとも大切な仕事、つまり部下を育て、励まし、引き上げる役目を果たさないことがある。

 

 

このように自分がところを得ていないとき、あるいは組織が腐っているとき、あるいは成果が認められないときには、辞めることが正しい選択である。出世はたいした問題ではない。重要なのは、公正であることであり、公平であることである。さもなければ、やがて自らを二流の存在と見るようになってしまう。

 

 

自ら刺激を与えるうでも、ある種の変化が必要である。この必要は、ますます人が長生きするようになり、ますます長く活動できるようにあるにつれて大きくなる。変化といっても、かえ離れたところに移る必要はない。

 

 

日常化した毎日が心地よくなったときこそ、違ったことを行うよう自らを駆り立てる必要がある。「燃え尽きた」とは、たいていの場合、飽きたとうだけのことである。たいしたことでもないもののために朝出かけるほど、疲れを覚えるものはない。ほとんどの仕事は繰り返しである。

 

 

仕事から学び続けるには、成果を期待にフィードバックさせなければならない。仕事の中で、さらには生活の中で、重要な活動が何かを知らなければならない。それらの活動において何を期待するかを書きとめておかなければならない。九カ月後、あるいは一年後に、成果とその期待を比べる。そうするこによって、自分は何をうまくやれるか、いかなる能力や知識を必要としているか、いかなる悪癖をもっているかを知ることができる。

 

 

もちろん、自分の行動からしか学べないわけではない。組織の中、自分のまわり、知り合いにも目を向ける必要がある。「彼らは、何について本当にうまくやっているか」「それをどのようにやっているか」。言いかえるならば、成功に目をむかなければならない。「誰にもむずかしいと思われるあのことを、ジョーはいかにやっているか」。それを自らもやってみる。

 

 

自らの仕事をし、自らのキャリアを決めていくのは自分である。自らの得るべきところを知るのは自分である。組織への貢献において、自らに高い要求を課すのも自分である。飽きることを自らに許さないよう、予防策を講ずるのも自分である。仕事を心躍るものにするのも自分である。