第3392条件――いかに成果をあげ、成長するか P・F. ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳)

 

 

 

 

-自らの成長に責任を持つ

 

 

自らの成長のためにもっとも優先すべきは、卓説性の追及である。そこから充実と自信が生まれる。能力は、仕事の質を変えるだけでなく、人間そのものを変えるがゆえに重要な意味をもつ。能力がなくては、優れた仕事はありえず、自信もありえず、人としての成長もありえない。

 

 

何年か前に、かかりつけの腕のいい歯医者に聞いたことがある。「あなたは、何によって憶えられたいか」。答えは「あなたを死体解剖する医者が、この人は一流の歯医者にかかっていたといってくれること」だった。

 

 

この人と、食べていくだけの仕事しかしていない歯医者との差の何と大きなことか。同じように組織に働く者にとっては、自らの成長は、組織の使命と関わりがある。それは、仕事に意義ありとする信念や献身と深い関わりがある。

 

 

自らの成長に責任をもつ者は、その人自身であって上司ではない。誰がも自らに対し、「組織と自らを成長させるためには何を集中すべきか」を問わなければならない。

 

 

たとえば、ペーパーワークと医者のさまざまな要求に追われている病棟の看護婦は、大勢の外科の患者を見ながら、次のように問わなければならない。「彼らが私の仕事だ。他のことは邪魔でしかない。この本来の仕事に集中するにはどうしたらよいか。仕事の仕方に問題があるかもしれない。もっとよい看護ができるよう、みなで仕事の仕方を変えられないか」

 

 

自らの成果をあげる存在にできるのは、自らだけである。他の人ではない。したがって、まず果たすべき責任は、自らの最高のものを引き出すことである。それが自分のためである。人は、自らがもつものでしか仕事ができない。

 

 

しかも人に信頼され、協力を得るには、自らが最高の成果をあげていくしかない。ばかな上司、ばかな役員、役に立たない部下についてこぼしても、最高の成果はあがらない。障害になっていること、変えるべきことを体系的に知るために、仕事のうえでたがいに依存関係にある人たちと話をするのも、自らの仕事であり、責任である。

 

 

成功の鍵は、責任である。自らに責任をもたせることである。あらゆることがそこから始める。大事なことは、地位でなく責任である。責任ある存在になるということは、真剣に仕事に取り組むということであり、成長の必要性を認識するということである。ときには、辛くても、長年かけて身につけた能力が、まったく意味を失ったことを認めなければならない。一〇年かけてコンピュータを自在に使いこなせるようになったにもかかわらず、今や学ぶべきは、いかにして人と働くかである。

 

 

責任ある存在になるとうことは、自らの総力を発揮する決心をすることである。「違いを生み出すために、何を学び、何をなすべきか」を問う。むかし一緒に働いたある賢い人が、私にこう言ったことがある。「よい仕事をすれば、昇給させることにしている。しかし昇進させるのは、自分の仕事のスケールを大きく変えた者だけだ」

 

 

成長するということは、能力を修得するだけでなく、人間として大きくなることである。責任に重点を置くことによって、より大きな自分を見られるようになる。うぬぼれやプライドではない。誇りと自信である。一度身につけてしまえば失うことのない何かである。目指すべきは、外なる成長であり、内なる成長である。