第2063冊目 プレゼンテーションの教科書  脇山 真治 (著), 日経デザイン (編集)


プレゼンテーションの教科書

プレゼンテーションの教科書

  • 進行表の必要性


プレゼンテーションはテレビドラマとも、演劇と劇映画とも異なるが、一定の時間を計画に基づいて進行していく点では、同様の劇性をもったパフォーマンスだと認識すべきだ。前章で述べたように計画段階では適切な時間配分を行いながら、導入やクライマックスを組み込んで、プレゼンテーションのストーリーを構築していく。


時に強い口調で説得し、時にユーモアを交えて聞き手をリラックスさせ、あるときは資料映像に注目してもらう。映画や演劇ではこのストーリーを関係者全員が共有する必要があるため、文書化された台本として配布される。台詞や所作や、状況設定、登場人物の位置関係、効果などが書き込まれており、制作のためのいわば設計図書でもある。


プレゼンテーションが計画性をもったパフォーマンスであるとすれば、いわゆる台本に相当するものが必要になるだろう。しかしプレゼンテーションは聞き手の反応などを状況の推移によっては即時的に話題を省略したり、予定より多くの時間を割いたりといったプログラムの変更を生じるので、細かく書き込まれた「台本」はほとんど言いをもたない。


多くの場合、進行にかかわる資料はプレゼンター本人にだけ必要なので、チームのメンバーとの情報共有を前提とした体裁も、ほかの関係者に気づかった書き込み必要ない。したがって「台本」は本の体裁をなすものではなく、内容を項目ごとに箇条書きにしたペーパーや、要点や絶対にはずせない話題などを添え書きしたものがよい。


プレゼンテーションに求められる進行のための資料は、状況の変化や不測の事態に、相応の自由度をもって対応できるものではなくてはならない。映画委や演劇で使われるような「台本」は必要ない。むしろ書き込みすぎは有害ですらある。必要な進行資料は、プレゼンターが自分で納得できる進行表あるいは、進行メモのたぐいでなければならない。

  • 暗記の無駄


完璧なプレゼンテーションを行おうと意気込むあまり、発表原稿を作り、くまなく読み込んで暗記をする人がいる。中には、暗記した内容とはいえ、本番ではよどみなくしゃべり、エピソードの挿入もことばの抑揚も実に見事で、「暗記」の機械的なイメージのかけらも感じさせない素晴らしいプレゼンテーションを実行できる人もいる。しかしプレゼンテーションが聞き手とのナマのかかわりの中で進行するコミュニケーション行為だとすれば、時間軸に沿って決められた事項をおぼえて、それを復唱するのは、劇性に富んだダイナミックな時間を自ら否定していないだろうか。


学生の卒業研究発表会では、発表原稿の棒読みが少なくない。おぼえる努力すら放棄していて、何のためのライブなのか意味がわからない。収録したテープを流してくれるほうがまだ聞き取りやすいかもしれない。しかしどんなに優れた発表原稿ができても、それを暗記するのは無意味である。流暢なしゃべりを実現できたとしても「書きことばを読んでいる」という本質には変わりがないし、プレゼンター自身の情熱や信念に支えられた生きたことばとはほど遠いからだ。


慣れない外国語での発表のとき、原稿を瞥見したり一部を暗記したりするといった例外はあるが、暗記することを前提とした台本づくりはやめた方がいい。プレゼンテーションに暗記のための原稿は不要である。スキルアップのためにも好ましくない。