第3358冊目 プロフェッショナルの条件――いかに成果をあげ、成長するか P・F. ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳)


  • 新しい仕事が要求するものを考える――シニアパートナーの教訓


ものごを学ぶことについての次の経験は、数年後のことだった。私は一九三三年にフランクフルトを離れ、ロンドンに渡った。初め大手の保険会社で証券アナリストをつとめ、一年ほどしてから、小さくはあったが、急速に成長していたある投資銀行に移った。そこでエコノミストとして、三人のシニアパートナーの補佐役を勤めた。ひとりは七〇代の創設者で、あとの二人は三〇代半ばだった。初めのころ、私はいちばん若いシニアパートナーの補佐役の仕事をやらされた。


ところが三ヶ月ほどして、年配の創設者が私を部屋に呼びつけて、こう言った。「君が入社してきたときはあまり評価していなかったし、今もそれは変わらない。しかし君は、思っていたよりも、はるかに駄目だ。あきれるほどだ」。二人にシニアパートナーに毎日にように褒められていた私は、あっけにとられた。


その人はこう言った。「保険会社の証券アナリストとしてよくやっていたことは聞いている。しかし、証券アナリストをやりたいのなら、そのまま保険会社にいればよかったのではないか。今君は、補佐役だ。ところが相も変わらずやっているのは証券アナリストの仕事だ。今の仕事で成果をあげるには、いったい何をしなければならないと思っているのか」。私は相当頭に血が上った。しかし、その人の言うことが正しいことは認めざるをえなかった。そこで私は、仕事の内容も、仕事の仕方も、すっかり変えた。


このとき以来、私は新しい仕事を始めるたびに、「新しい仕事で成果をあげるには、何をしなければならないか」を自問している。もちろん答えは、そのびに違ったものになっている。


コンサルタントの仕事を始めてから五〇年以上経つ。いろいろな国のいろいろな組織のために働いてきた。そして、あらゆる組織において、人材の最大の浪費は昇進人事の失敗であることを目にしてきた。昇進し、新しい仕事をまかされた有能な人たちのうち、本当に成功する人はあまりいない。無残な失敗例も多い。もちろんいちばん多いのは、期待したほどではなかったという例である。その場合、昇進した人たちは、ただの凡人になっている。昇進人事の成功は本当に少ない。


一〇年あるいは一五年にわたって有能だった人が、なぜ急に凡人になってしまうのか。私の見てきたかぎり、それらの例のすべてにおいて、原因は、昇進した者が、ちょうど私が六〇年以上前、あのロンドンの投資銀行に入ったばかりのころにしていたこととまったく同じことをしていることにある。彼らは、新しい任務に就いても、前の任務で成功していたこと、昇進をもたらしてくれたこをやり続ける。そのあげく、役に立たない仕事しかできなくなる。正確には、彼ら自身が無能になったからではなく、間違った仕事の仕方をしているために、そうなっている。


私は、これまで長い間、クライアントの組織の有能な人たちに必ず、同じ質問をすることにしてきた。それは、「いかにして成果をあげられるようになったのか」である。事実上、ほとんど答えは同じだった。私と同じように、「もうだいぶ前に亡くなったむかしの上司のおかげだ」と答える。かつての上司が、私がロンドンにいたころ、あの老紳士が私にしてくれたこと、すなわち新しい任務が要求するものについて、徹底的に考え抜くことを彼らに教えている。


少なくとも私の経験では、このことを自分で発見した人はいない。誰かが言ってくれなければ分からないことである。同時に、このことは一度知ってしまえば、決して忘れることのないものである。そしてほとんど例外なく、その後は、誰でも新しい任務で成功するようになる。


新しい任務で成功するうえで必要なことは、卓越した知識や卓越した才能ではない。それは、新しい任務が要求するもの、新しい挑戦、仕事、課題において重要なことに集中することである。