第3383 冊 プロフェッショナルの条件――いかに成果をあげ、成長するか P・F. ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳)

 

 

 

 

-勇気をもつ

 

 

これでいよいよ、決定を行う準備は整った。すなわち、決定が満たすべき必要条件は十分に検討し、選択肢はすべて検討し、得るべきものを付随する犠牲とリスクは、すべて天秤にかけた。すべては分かった。ここにおいて、何を行うべきかは明らかである。決定はほぼ完了した。しかし、まさに決定の多くが行方不明になるのが、このときである。決定が、愉快ではなく、評判もよくなく、容易ではないことが急に明らかになる。

 

 

とうとうここで、決定には判断と同じくらい勇気が必要であることが明らかになる。薬は苦くなければならないという必然性はない。しかし一般的に、良薬は苦い。決定が苦くなければならないという必要性はない。しかし、一般的に、成果をあげる決定は苦い。

 

 

ここで絶対にしてはならないことがある。「もう一度調べよう」という誘惑に負けてはならない。臆病者の手である。臆病者は、勇気が一度死ぬところを、一〇〇〇回死ぬ。「もう一度調べよう」という誘惑に対しては、「もう一度調べば、何か新しいことが出てくると信ずべき理由はあるか」を問わなければならない。もし答えがノーであれば、再度調べようとしてはならない。自らの決定力のなさのたえに、有能な人たちの時間を無駄にすべきではない。

 

 

とはいえ、決定の意味について完全に理解しているという確信なしに、決定を急いではならない。相応の経験をもつ大人として、ソクラテスが神霊と呼んだもの、すなわち「気をつけよ」とささやく内なる声に、耳を傾けなければならない。意思決定の正しさを信ずるかぎり、困難や不快や恐怖があっても、決定しなければならない。しかしほんの一瞬であっても、理由はわからずとも、心配や不安や気がかりがあるならば、しばらく決定を待つべきである。私のよく知っている最高の意思決定者のひとりは、「焦点がずれているようなときには、ちょっと待つことにしている」と言っている。