第2975目 カリスマは誰でもなれる オリビア・フォックス・カバン (著), 矢羽野 薫 (翻訳)


カリスマは誰でもなれる (ノンフィクション単行本)

カリスマは誰でもなれる (ノンフィクション単行本)

  • カリスマは責任感を持って扱うこと


カリスマのテクニックが危険な結果を招くこともあるのだろうか――私はよくそう訊かれる。もちろん、そのとおりだ。カリスマは強力なツールであり、ダークサイドを持っている。カリスマを詳しく研究した専門家の多くが、その危険を警告している。


実際に1980年代までは、ピーター・ドラッカーをはじめとするリーダーシップ論の権威の多くが、カリスマを研究することも教えることも完全に否定していた。ドラッカーは、20世紀の最もカリスマ的なリーダーはヒトラーであり、スターリン毛沢東ムッソリーニだったのではないかと繰り返し指摘した。


カリスマは他人に影響を与える能力を高める。この能力を高める訓練はすべて、有益な使い方も有害な使い方もできる危険がある。しかしカリスマを高める訓練は、その目的自体は、あらゆるリーダーシップのスキルの訓練と変わらない。カリスマの訓練が危険だというなら、リーダーシップの有効性を高めるあらゆる訓練が危険ということになる。


マーシャル・ゴールドスミスは、カリスマは知性と同じように資産のひとつだと語る。「正しい方向に進めば、早くゴールに到達する。しかし方向を間違えても、カリスマがあれば早く到達できるだろう。カリスマは資産であり、何かを保証するものではない。カリスマ的なリーダーでも失敗する人はたくさんいる。知的なリーダーが失敗するのと同じだ。だからといって、カリスマや知性が悪いということにはならない」


ナイフは、傷を治すことにも傷つけることにも使える。同じ道具を外科医が握るか、犯罪者が握るかということだけのことだ。道具に「良い道具」か「悪い道具」かという区別はとんどない。この本で学んだことは、単なる道具にすぎない。使い方を決めるのはあなただ。カリスマであなたを何をするか、それがすべてだ。