第2847冊目 私の財産告白 本多 静六 (著)


人生と財産―私の財産告白

人生と財産―私の財産告白

  • 上手な自説の述べ方


人を使い、人に使われる――つまり共同社会における自説の発表、または自案の貫徹には、これまた相当の苦心とテクニックを要するものである。私は元来話好きで、なんでも知っていることをみんなおしゃべりしてしまい、聞かれもしないことまでちかちか進んで講釈する癖がある。これは長い間学校の先生をやってきたためかも知れぬが、職務上重要な意見は、人の請いに先立って切り出すのはどうもマズイようである。


いったい多人数集まった席での発言は、その聴き手の要求に応じてこれを行うほうが、そうでない場合よりもはるかに効果的であって、差し出がましく真っ先に自説を持ち出すと、しっかりした内容のものでも軽んじられやすい。かえって人を不愉快にすらするものである。


だから、重要な会議であればあるほど、まず充分に人の意見を聞いて、しかるのちおもむろに自説を持ち出すのがリコウのようである。それもなるだけ人の意見に賛成し、それを補足する意味のおいて一言する形でやる。この場合だれがどういう説を主張しようとかかわったことではなく、要するに目的は、持っていきたい結論に持っていかれさえすればいいのだから、努めて他説を立てつつ、自説を説明する。それは結論に対する共同責任をみなに負わせると共に、かつ多数者の感情を損なわぬ上に大変な利益がある。またその席上議論が生じた際にも、常に雅量をもって対手を立てるようにすれば、その人からかえって真実の意見を聴く――つまり本音を吐かせることもできるのである。


さらに過ちを改むるにはばかることなかれで、その討論で自説の誤っているのに気づいたら、その場でむしろ気前よく降参して、自説の改新を行ってゆくことだ。変にネバネバしていつまでも自説を固執しているよりも、どんなにか男を上げることになるか知れない。そのほうがかえって、次の機会でも、その意見に会同者が耳をかたむける結果となろう。