第2844冊目 私の財産告白 本多 静六 (著)
- 作者: 本多静六
- 出版社/メーカー: 日本経営合理化協会出版局
- 発売日: 2000/01/01
- メディア: 単行本
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- 上長に大切な威厳と親しみ
人を使うにも、人に使われるにも、常にその周囲の人々と同和することが最も大切である。私などはこの同和が最も不得手で、少年時代から僻み根性が強く、人を疑い、人を妬み、人の落ち目を喜ぶような悪癖があって、我ながらあいその尽きるものがあった。ところが、十六のときに淘宮術の大家新家春三先生の門に入り、根底からその気質の矯正につとめたため、後年どうやら人にも使われ、人をも使うことができるところまできた。
傲慢不遜と狭量とは、全く、使うにも使われるにも、処置なしである。それに反し、礼譲と温容とは、使うにも使われるにも敵なしである。ただここにちょっと注意しなければならぬのは、礼儀作法を重んずるといっても、変にお高くとまることは大の禁物である。同僚と同和どころか、いつも一人だけのけものにされてしまう。だから、礼儀正しいといっても、それはどこまでも民主的、民衆的でなければならぬ。上長者といえどえも、常に仕事にも、仕事外にも、部下と共にあることを忘れてはならない。
ところで、部下の心を自分につなぐくには、何かの頼まれ事や約束を、忘れずに必ず実行することなど最も有効な手だ。私はこのために手帳を用意していちいちこくめいにメモをとっておいたのだが、頼んでいたほうで忘れているような些細なことでも、このメモのおかげでこちらは忘れずに必ず実現したので、「うちのオヤジはこんなことまで覚えていてくれるのか」と、馬鹿に評判をよくしたのものである。これが、再三念を押されて、最後に「やあ忘れていた」ということになっては、仕事の上の権威も、信頼も、とんだ処でマイナスにされてしまうところだった。
さらに師長たるものは、いつも決して無表情無愛想であってはならない。部下は常に、「上役の機嫌」といったことにも心を配っているものだから――卑屈な意味でなしに――部下に対しては、なるべく柔らかく、笑いを忘れず、ときにもユーモアたっぷりの口説で雑談の仲間入りなどもすべきである。いい話題がなかったら、「どうだね、子供さんはみな元気かね」くらいに、くだけて出ることが大切である。「威厳」と「親しみ」――この二つの等配分がなかなか難しい。上長者に人知れぬ苦心の存するのはここだ。孔子のいわゆる威であって猛からず、恭にして安というのもすなわちここだ。