第2629冊目 プロフェッショナルの条件―いかに成果をあげ、成長するか P・F. ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳)


  • 時間をまとめる


時間は、大きなまとまりにする必要がある。小さなまとまりでは、いかに合計が多くとも役に立たない。このことは、特に人と働く場合の時間の使い方についていえる。人というものは時間の消費者であり、多くは時間の浪費者である。人のために時間を数分使うことは、まったく非生産的である。何かを伝えるためには、まとまった時間が必要である。計画や方向づけや仕事ぶりについて、部下と一五分で話せると思っても、勝ってにそう思っているdかえのことである。肝心なことを分からせ、影響を与えたいのであれば、一時間を必要とする。


何らかの人間関係を築くためには、はるかに多くの時間を必要とする。知識労働者との関係では、特に時間が必要である。上司と部下との間に、権力や権威が障壁として存在しないためか、あるいは逆に障害として存在するためか、それとも単にものごとを深刻に考えるためか、理由はともあれ、知識労働者は上司や同僚に多くの時間を要求する。


知識労働は、肉体労働のように評価測定できない。そのため、正しい仕事をしているか、どのくらいよくしているかについて、簡単な言葉で聞いたり伝えたりすることができない。肉体労働者には、「標準は一時間五〇個だが、君は四二個しか生産していない」といえる。知識労働者については、満足すべき仕事をしているかどうかを知ることさえ容易でない。彼らとは、何をなぜ行わなければならないかについて、腰を据えて一緒に考えなければならない。ここでもまた、時間が必要となる。


知識労働者には、自らの方向づけを自らさせなければならない。何が、なぜ期待されているのかを理解させなければならない。自らが生み出すものを活用する人たちの仕事を理解させなければならない。そのためには、多くの情報や対話や指導が必要となる。ここでも時間が必要となる。同僚には時間を割かなければならない。


多少なりとも成果や業績をあげるためには、組織全体の成果や業績に焦点を当てなければならない。したがって、彼自身も、自らの目を、仕事から成果へ、専門分野から外の世界へ、すなわち成果が存在する唯一の場所たる外の世界へ向けるための時間を必要とする。


成果をあげている組織では、組織のトップたちが意識して時間を割き、「あなたの仕事について、何を知らなければならないか」「この組織について、何が気づいたことはないか」「われわれが手をつけていない機会は、どこにあるか」「まだ気づいていない危険は、どこにあるか」「私から聞きたいことは何か」と聞いている。


企業、政府機関、研究所、軍の参謀組織のいずれにおいても、話し合いが必要である。話し合いがなければ、知識労働者は熱意を失い、ことなかれ主義に陥るか、自らの精力を専門分野のみ注ぎ、組織の機会やニーズとは無縁になっていく。そのような話し合いは、くつろいで、急がず行わなければならない。それが結局は近道である。そのためには、中断のないまとまった時間を用意しなければならなくない。


仕事の関係に人間関係がからむと、時間はさらに必要となる。急げば摩擦を生ずる。あらゆす組織が、仕事の関係と人間関係の複合の上に成り立っている。ともに働く人が多いほど、相互作用だけで多くの時間が費やされる。仕事や成果や業績に割ける時間が、それだけ減る。


組織が大きくなればなるほど、実際に使える時間は少なくなる。自らの時間がどのように使われているかを知り、自由にできるわずかな時間を管理することが、それだけ重要になる。組織が大きいほど、仕事についての意思決定の必要も頻繁に出てくる。人事についての決定こそ、手早く行うと失敗する。正しい人事のために必要とされる時間は、驚くほど多い。人事についての決定がどのような意味をもつかは、何度も考え直して、初めて明らかになる。


今日、増大する余暇の過ごし方のついて困っているのは、知識労働者ではない。反対に、彼らの労働時間はますます長くなっており、時間への要求はさらに増大している。時間不足は、改善されるどころか、悪化していく。


このような自体の重大の原因の一つは、高い生活水準というものが、創造と変革の経済を前提をしているところにある。創造と変革は、時間に対して膨大な要求を突きつける。短時間のうちに考えたり、行ったりすることのできるのは、すでに知っていることを考えるか、すでに行っていることを行うときだけである。