第2628冊目 プロフェッショナルの条件―いかに成果をあげ、成長するか P・F. ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳)


  • 時間を無駄にする仕事


時間を無駄に使わせる圧力は、常に働いている。なんの成果ももたらさい仕事が、時間の大半を奪っていく。ほとんどは無駄である。地位が高くなれば、その高くなった地位が、さらに時間を要求する。


ある大会社の社長は、社長就任後の二年間、クリスマスイヴと元日の夜以外は、会食だったそうである。しかも、ほとんどが数時間かかる公式の会食だった。永年勤続の退職者のためのものであろうと、進出先の州の知事のためのものであろうと、出席しなければならなかった。社交は彼の仕事だった。彼は、それらの会食が、会社のためにも、自らの楽しみや自己啓発にもたして役立っていないことを自覚していた。それでも彼は、毎晩会食に出て、愛想よく食事をしなければならなかった。


仕事には、時間を無駄にするものがたくさんある。上得意からの電話に向かって、「手がふさがっている」とはいえない。土曜のブリッジの話であろうと、娘が希望の大学に入れたという話であろうと、耳を傾けなければならない。


病院長は、病院内のあらゆる会議に出なければならない。出なければ、医者や看護婦や技術者は軽く見られていると思う。政府機関の長は、議員が電話してきて、電話帳や年鑑で簡単にわかるようなことを聞いても、ていねいに対応したほうがよい。そのようなことが一日中続く。誰でも事情は変わらない。成果には何も寄与しないが無視できない仕事に時間を取られる。膨大な時間が、ほとんど、あるいはまったく役に立たないことに費やされる。


仕事の多くは、たとえごくわずかな成果をあげるためであっても、まとまった時間を必要とする。こま切れでは、まったく意味がない。何もできず、やり直さればならなくなる。


報告書の作成に六時間から八時間を要するとする。しかし一日に二回、一五分ずつを三週間充てても無駄である。得られるものは、いたずら書きにすぎない。ドアにカギをかけ、電話線を抜き、まとめて数時間取り組んで初めて、下書きの手前のもの、つまりゼロ号案が得られる。その後、ようやく、比較的短い時間の単位に分けて、章ごとあるいは節ごと、センテンスごとに書き直し、訂正し、編集して、筆を進めることができる。


実験についても同じことが言える。装置をそろえ、ひととおりの実験を行うには、五時間あるいは一二時間を一度に使わなければならない。中断すると、初めからやり直さなければならない。