第1056冊目  聞く力―心をひらく35のヒント (文春新書) [新書]阿川 佐和子 (著)

聞く力―心をひらく35のヒント ((文春新書))

聞く力―心をひらく35のヒント ((文春新書))


相づちの極意


臨床心理学者の河合隼雄さんにお話を伺ったときは、人の話を「聞く」ことの大切さを空ためて認識させられました。

河合さんは文化庁長官も経験なさいましたが、基本的には「セラピスト」のような仕事がご本業。心にさまざまな傷を抱えるたくさんの方々のカウンセリングをしていおいででした。そこで私はさっそく、

「患者さんに、どんなアドバイスをなさるのですか」

と伺いました。すると河合さん、

「アドバイスは、いっさいしません」

え、アドバイスはしないの? 意外でした。じゃ、カウンセラーは何をするのかしら。

「僕はね、ただ相手の話を聞くだけ。聞いて、うんうん、そうか、つらかったねえ、そうかそうか、それで? って、相づちを打ったり、話を促したりするだけ」

とおっしゃる。

「どうしてアドバイスをなさらないんですか」

それには理由がありました。

かつて河合さんはある若者の悩みを聞いて、それに帯シットえ「こうしたらどうだろう」という提案をなさったことがあるそうです。若者は素直に河合さんのアドバイスを受け入れて、その後、実行した。それからしばらくのち。若者は再び河合さんのところに訪れてきて、

「だいぶ元気になりました。先生のアドバイスのおかでです」

よかったよかった。じゃ、また何か心配なことが起こったら、いつでも相談にいらっしゃい。河合さんは安堵して若者を見送ったのですが、さらにしばらくのち、若者が河合さんのところへ、今度は怒ってやってきた。

「先生の言う通りにしたら、ひどいことになった。どうしてくれる」と。

「つまり、他人のアドバイスが有効に働いたときはいいのですが、何かがうまくいかなくなったとき、そのアドバイスが間違っていたのだと思い込んでしまう。すべての不幸をアドバイスのせいにして、他の原因を探さなくなってしまうのです」

カウンセラーの責任逃れのように聞こえてしまうかもしれませんが、そうではない。本当に心の病を治そうとするならば、地道にその原因となるものを探し出さなければならない。にもかかわらず、他人の指示に頼ってしまうと、うまくいかないのは全部、そこに原因がある、こうしろと言ったアイツのせいだと勘違いしてしまう恐れがあるのです。だから僕はアドバイスをしない。病気の治療には役立たないからですと、河合さんはそんなふうにおっしゃいました。

私は単なる聞き手です。相手の心の悩みを聞くことが仕事ではありません。しかし、インタビューの仕事をしていると、ときどき、「あー、なんかアガワさんに話したら、自分の頭の中の整理がついた」と言われることがあります。あるいは、「こんなこと、ずっと忘れていたのに、今日、思い出した」と驚かれることもあります。決して私が相手の頭の中を整理しておげようと意図したわけではありません。「ほらほら、他にもなんか思い出すことがあるでしょう、ええ?」なんて、無理やり思い出させたりしたこともないはずです。にもかかわらず、お相手は、最後にふっと、そんな言葉を吐いてくださる。

「今、気がついた。私って、そう考えていたんですね」

話を聞く。親身になって話を聞く。それは、自分の意見を伝えようとか、自分がどうにかしてあげようとか、そういう歌を捨てて、ただひたすら「聞く」ことなのです。相手の話の間に入れるのは、「ちゃんと聞いていますよ」という合図。あるいは、「もっと聞きたいですねえ」という促しのサインだけ。そうすれば、人は自ず、内に秘めた想いが言葉となって出てくるのではないでしょうか。

冒頭にお話しした通り、私は週刊文春の対談ページを始めるにあたって、城山三郎さんのような、『名相づち打ち』なることを目指してきました。でもときおり、それだけでは大事な話を引き出すことができないのではと、迷ったことがあります。しかし、文春対談を始めて四年後、河合隼雄さんに出会い、

「ただ聞くこと。それが相手の心を開く鍵なのです」

そう教えられ、後ろ盾を得た気持になりました。