第1057冊目  采配 [単行本(ソフトカバー)]落合博満 (著)

采配

采配


「初」には大きな価値がある


大切なのは誰が最初に行ったかではなく、誰がその方法で成功を収めたかだ。

私のチーム作りなどにおける方法論は、先人の模倣でもあると書いた際に、そうまとめた。これについてさらに論を進めれば、成功を収めた、あるいは一定の結果を残したことに関する「初」には大きな価値がある。

なぜ、この話題に触れたのかといえば、2011年9月3日の広島戦で岩瀬仁紀が日本プロ野球史上初の通算300セーブを達成した際の報道に切望感を抱いたからである。

岩瀬はすでに、通算287セーブのプロ野球新記録を達成した。その時は「新記録」という部分で大いに注目されたのだが、300セーブという数字は、その新記録をさらにワンランク上のステージに引きあげたものだ。プロ野球の世界では、人類初の月面着陸くらいインパクトのある偉業なのである。

さて、岩瀬の偉業はどのように社会に伝えられるか。私は翌朝、楽しみにスポーツ紙を買おうとしたのだが、驚いたことに岩瀬の偉業を一面にした媒体はひとつもなかった。

寂しい時代になった。そう思ってため息が出た。スポーツ紙というのは、創刊以来プロ野球とは切っても切れない関係を築いてきた。かつては、称賛されることもあれば、「そこまで言わなくても」というくらいに叩かれる時もあった。私の現役時代もそうだった。だが、掲載される記事には、ファンの興味に応えるという使命と両立して、プロ野球に対する愛情と敬意があった。

だからこそ、私のように「悪役」のイメージを植えつけられた選手でも、日本初となる3度目の三冠王を手にした時は、どの媒体からも褒めてもらった。そういうご褒美が、誰よりも高い場所に立ってやろうとプレーしている選手の誇りや自信になった。しかし、今はどうだろう。「そんなご褒美もなくなってしまったのかな」と思うとやり切れない気持ちになった。僭越ながら、スポーツ紙にはプロ野球に対する敬意のような感覚がなくなったのかと感じた。

ただ、これはスポーツ紙だけの責任ではなく、プロ野球界全体で「初」の偉業に対する価値観が鈍くなっているという背景があると思う。あらゆる面で数字を競っている世界なのに、肝心の数字に対する感性が鈍くなっている。

ちなみに、2011年8月25日の東京ヤクルト戦に勝利した際、私は記者に囲まれて「史上22人目の監督通算600勝ですが……」と質問を受けた。

600勝とは、確かに区切りの数字ではあるが、新記録でも初の記録でもない。私自身、気にもしていない数字なのだ。最近はさまざまな記録が整備され、パソコンのキーを叩けば、どんな細かな記録でも瞬時に検索できる。だが、過去に21人の監督が通過した600勝という数字と、誰も達成していない岩瀬の300セーブという数字の持つ意味合いがまったく違うのは明らかだろう。

また、「初」の価値観を大切にすることは、自分の会社や仕事の発達史を理解することにもつながる。

例えば、日本プロ野球の最多本塁打王貞治さんの868本だ。歴代2位の野村克也さんが657本だから、800本台のみならず、700本台に到達したのも王さんだけという視点から、その記録の偉大さを十分に理解することができる。

では、通算500本塁打を初めて達成したのは誰かというえば、それは1971年の野村さんなのだ。この時点では、本塁打という記録の荒野を先陣切って駆け抜けていたのは野村さんであり、王さんは野村さんの背中を追う立場だった。プロ野球にもそういう時代があったのである。

野村さんが日本初の500本塁打という偉大な記録を打ち立て、それを追った王さんが野村さんを抜き去り、記録を600、700、800と伸ばした。「初」の歴史を紐解けば、その価値をさらに深く認識することができるのではないか。

私が三冠王にこだわったのも、25歳でのプロ入りだったため、王さんの通算本塁打には追いつけないと思い、何か「プロ野球界初」になれるものはないかと考えた末、王さんの「2度の三冠王」なら上回れるチャンスがあるかもしれないと思ったからである。

誰も知らない領域を目指していくことは、私自身を大いに成長させてくれた。

今後、岩瀬が通算セーブ数をどこまで伸ばすかわからない。だが、仮に300台でユニフォームを脱いだとすれば、次代の投手はその記録を追い、抜き去っても400を目指すことができる。そうやってプロ野球は発展していく。同じように、どんな世界であっても、かつての「初」を次代が抜き去り、新たな「初」が生まれていく。「我が社初の」、「我が業界初の」、「我が校初の」が、その世界を発展させていくという意味で、「初」の価値を再認識するべきなのだ。