第953冊目  采配 [単行本(ソフトカバー)]落合博満 (著)

采配

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すべての仕事は契約を優先する


ワールド・ベースボース・クラシック(WBC)という大会で、日本が2006、2009年と連覇を果たしているのは、ご存知の方も多いだろう。

一部のメディアで報じられたが、私は2009年の第2回大会に臨む日本代表の監督を要請され、お断りした。

その後、巨人の原辰徳監督が日本代表監督に就任すると、選手選考の際にドラゴンズの選手が全員代表入りを辞退したことが大きな批判を浴びた。

日の丸を胸につけ、世界を相手に戦う栄誉を辞退した私が、選手の派遣にも難色を示しているのではないかと推測するメディアもあったようだ。

この批判は、2009年のペナントレースが終わるまでついてまわった。

なぜ、私やドラゴンズの選手が批判されなければならなかったのか。正直言って、今でもその理由が理解できない。

そもそも私は、中日ドラゴンズという球団と契約している身分だ。

その契約書には「チームを優勝させるために全力を尽くす」という主旨の一文がある。

ワールド・ベースボース・クラシックが開催される3月は、ペナントレースの開幕を控えてオープン戦をこなしている時期だ。そんな大切な時に、私は「契約している仕事」を勝手に放り出すわけにはいかない。

現役監督に日本代表の指揮を任せたいのなら、日本野球機構と12球団のオーナーが一堂に会して議論すべきだろう。そこで私に監督を任せようと決まり、球団オーナーを通じて要請されれば、私には断る理由がない。契約をした側からの要請なのだからノーという選択肢はないのだ。

これは日本の社会のよくない部分だ。「国のため」、「世界一になるため」などという大義名分があると、組織図や契約を曖昧にして物事を決めようとする。

このことは選手も同じだ。実は、私はオリンピックやワールド・ベースボース・クラシックに臨む選手選考でも、ひとつの提案をした。それは、12球団に在籍する全選手に対して、国際大会に「出場したい」、「出場したくない」の二者択一のアンケートを取り、「出場したい」と回答した選手の中から代表を選考してほしいというものだ。

なぜなら、「出場したくない」と表明した選手に対して、「辞退するなら然るべき理由を述べよ」と言うのはおかしいからだ。これには大きな理由がある。

そもそも選手とは何者か。

選手とは、球団と契約している個人事業主であり、契約書には明記されていない仕事をする場合には本人の意思が第一に尊重されるべきなのだ。

日本代表に選出されるような、いわゆる「活躍している選手」は、体のどこかに痛みや故障を抱えながらプレーしている。

中には、そうしたコンディションを自軍の監督にも打ち明けずに戦っている選手もいるのだ。つまり選手のコンディションとは、言わば一事業主にとって「企業秘密」なのである。それを、一方的に日本代表候補に選出され、「辞退するなら理由を述べよ」と言われても、「実は腰を痛めているので」と正直に答えるわけにはいかない。だからこそ、「出場したい」と意思表示した選手の中から選考していけばいいだろう。

当然のことながら、こうした国際大会に積極的に出場したい選手も数多くいると思う。メジャー・リーグを目指している選手にとっては、絶好のデモンストレーションの場になるからだ。これも選手=個人事業主と考えれば、容易に想像がつくことだろう。

勝てるかどうかは別の問題として、日本代表は「出場したい」という選手だけで十分に編成することができるのである。それなのに、ペントレースの準備をしたいという選手まで連れていくのはなぜなのか。プロ野球は契約社会でありながら、肝心な場面でその契約が二の次に考えられていることに違和感を覚える。

周囲の空気を読んで行動したり、誰かの求めに精一杯応じようとするのは、人として大切なことである。そのことは否定しない。むしろ強く同意する。

しかし、仕事の場面においては、契約はすべてに優先する。

日本の社会には白でもない黒でもない、グレーな部分が多い。グレーな部分が必要な場合もあるのだが、行動を起こす際には、「自分はどこと契約しているのか」「自分の仕事は何なのか」をしっかり見据え
、優先しなけばならない。