第1370冊目 勝ち続ける意志力 世界一プロ・ゲーマーの「仕事術」 (小学館101新書) 梅原 大吾 (著)



「気になること」をメモする


誰にでも、何をしている人にでも、「ちょっと気になること」というものがあるはずだ。しかし、たいていの場合「気になること」は放ったらかしで、そのまま忘却してしまう。


仕事相手とのちょっとした思惑の行き違いを感じたり、試験勉強中自分の解法が違うのに、問題の解だけがなぜか正解していて首を捻るなんてことがあっても、「まあ、いいか」のひと言で済ませ、その疑問を蔑ろにしてしまうことはよくあることだ。


僕の場合もゲームをしているとき、よくそういう問題と言うか、ほんの少しの違和感を覚えることがある。


ゲームセンターで対戦しているとき、あるいは、ひとりで練習しているとき、ほんの少しの気掛かりが芽生える。


経験上、その気掛かりをそのまま放置してはいけない。


「あれ? これはちょっとおかしいな……だけど、たいした問題じゃないだろう」


そうやって無視していると、後になって必ず痛い目に遭う。そのときになって初めて、


「そういえばこれ気になってたんだよなぁ……」と、後悔するハメになる。


だから、気になったことは必ずメモするようにしている。そのときに時間があるわけではないので、後で絶対に解決しないといけないと心に決め、直感的に「問題になるかも」と感じたことはすべて分かりやすく箇条書きにしておく。


僕の場合、いつも携帯電話にメモをしている。


「まあ、いいか」と思いそうになったときは、「危ない、危ない」と思い直して、必ず携帯を手に取る。そのときにメモしておかないと、問題自体が何だったのか後から思い出すことは難しい。その瞬間、直感的に感じたことを疑わずにメモしておけば、時間が経ってもその問題と向き合うことができる。


人間と人間の勝負を繰り返している僕の場合、人に対する気掛かりも多い。そして、どんな相手でも、無視するべきではないと捉えている。


一日に何試合も繰り返していると、「試合をしていても少しも面白くない。どうせ勝つし、別にやらなくてもいいか」と思えてしまう相手がいる。あるいは、「どんな人間なのかよく分からないが、そこそこ勝てるから分析してくてもいいか」と甘く見えてしまう相手もいる。


そういう甘い気持ちに負けてしまうと、後で必ずしっぺ返しを食らう。


面白いももで、大会で足をすくわれるような敗戦をするとき、負ける相手は以前に「まぁ、いいか」と軽視していたプレイヤーであることが多い。


警戒していた強い選手たちはすべて倒せたのに、少し不安はあるけどワンランク下と侮っていた選手に負ける。そんな経験をしたことが何度かある。


世界チャンピオンは、みんなにとっていつか必ず倒したい相手だと思う。そのような相手に足をすくわれないためには、ほんの些細なことでも必ずメモして、気掛かりを解消しておかなければならない。


小さな違和感を見逃さない細心の注意があれば、強い立場を守ることができる。






日々、小さな変化をする


変化と一口に言っても、その規模や影響にはいくつかの種類があると思う。


日々の小さな変化もあれば、大きな飛躍をもたらしてくれる劇的な変化もあるだろう。どちらの変化も大切で、単純な大小の比較だけで優先順位はつけられない。


ゲームの世界で日々の変化と言うと、いくらかの専門的な戦術の話になってくる。


攻め方、守り方、攻撃パターン、技の組み合わせ、技を出すタイミング、自分が選ぶキャラクターと相手が選ぶキャラクターの相性……。ゲームというものを、対戦というものを細分化し、少しずつ変化させることができる。


本来なら攻撃した方がいいと思われる局面で様子を見る。このコンビネーションも有効だけど別の組み合わせを試してみる。技を出すタイミングを早める、場合によっては遅らせる。普段は選ばないキャラクターをあえて選ぶ。


もちろん格闘ゲームである以上は、相手があって初めて戦術になる。試してみた変化が、この場合は相手にとってどうなのかが重要なのであって、自分がやりやすいと感じるかは関係ない。


「こっちの技の方が嫌がっているみたいだ」


「あの攻撃も効くけど、この攻撃もあり得るな」


「本当は守られるのが苦手なんだ」


そんな気づきが、試してみた変化の正当性を証明してくれる。


日々の変化に関しては、ゲーマーである僕に限らず、誰でも試してみることができると思う。


本当に小さくて些細なことだけど、いつもと違う帰宅路を歩いてみるとか、定番から外れたメニューを食べるとか、普段使わない駅に降りてみるとか。


小さくてもいいから変えてみる。


そんな意識があれば、誰だって、いつだって自分を変えることができる。そうやって自分の体験を増やしておけば、ふとしたとき、前よりも視野の広くなった自分に気づくことができるはずだ。


少なくとも僕は、そう信じて自分を意識的に変化させている。