第2640冊目 成功する練習の法則―最高の成果を引き出す42のルール ダグ・レモフ (著), エリカ・ウールウェイ (著), ケイティ・イェッツイ (著)


成功する練習の法則―最高の成果を引き出す42のルール

成功する練習の法則―最高の成果を引き出す42のルール

  • 成功を体感できるものにする


私たちはよく「練習で完璧になる」と言う。本書の原題「Practice Perfect」も、練習と完璧のつながりをもじったものだが、じつのところ、練習で完璧になるというよりも、練習で永遠になる、のほうが正確だ。練習でひとつのスキルを完全に習得できることもあるし、まったくできないこともある。習得したスキルが正しい場合も、まちがっている場合もあるが、よかれあしかれ筋肉の記憶か思考回路に刷りこまれて、習慣となる。まちがった動きを練習すれば、チームは本番でまちがった動きをする。漫然と練習すれば、本番でも漫然と動くことになる。つまり、練習のきわめて重要な目標は、内容が何であろうと参加者が正しくおこない、成功をしっかりと組み込むことだ。


当たりまえに思えるかもしれない。しかし、まちがった練習のほうがむしろ多いのだ。原因はたくさんあるが、とりわけ目につくのは次のふたつだろう。第一に、練習をじっくりと戦略的に観察して参加者が正しくやっているかどうかを確認していない。第二に、学習曲線を急上昇させるためにまちがった努力をして、失敗の可能性を高めている。このふたつの落とし穴についてはすぐ後にくわしく述べるが、ここで少し脱線して、失敗を美化することについて考えてみる。


たとえばルーおじさんがその思いを語ってくれる。ルーおじさんは、いろいろなことを習っていた日々を振り返ってりう。(a)弁論趣意書の書き方、(b)自転車の乗り方、(c)タランチラ(南イタリアの民族舞曲)の踊り方、(d)屋根のふき方、そしてこう言う。「100回がんばったよ。初めの99回はうまくいかなかったが、へこたれずに続けて、ようやくできた」。最終的に習得できたし、そのための苦労はかけがえのないものだったというルーおじさんの意見は正しいかもしれない。


だが、彼のやり方はじつにたくさんのことが学べるからといって、それが最高に効率よく、効果の上がる学び方とはかぎらない。ルーおじさんは本来必要な時間と努力の10倍をかけて学んだかもしれない。もっと効率よく学んでいれば、いまよりもっと上達していたかもしれないのだ。投資のキャッシュフローを評価するにしろ、公立学校で授業をするにしろ、野球のゴロのさばき方を教えるにしろ、人を練習で上達させたいなら(あるいはそれを生業にしているなら)、失敗を美化する話は疑ってかかるかとだ。失敗は個性や粘り強さを育てるかもしれないが、スキルはそれほど育てない。


さて、練習が失敗を組み込んでしまう先ほどのふたつの原因について、もう少しくわしく見てみよう。


第一の原因が生じるのは、練習の成功率をきちんと監視していないからだ。「彼らが習得するまで、教えたとは言えない」とウッデンはよく口にしたが、もっともすぐれた教師は、生徒たちが習得しているかどうかを数秒後とに確認する――「理解の確認」と呼ばれる作業だ。理解不足を長く放置すればするほど、修正が困難になるのを知っているので、みな本当に理解しているだろうか、とつねに自問しているのだ。


練習の場合には、教えようとしていることを参加者ができているかどうかをしっかり観察し、結果を確認するだけでなく、結果にもとづいて行動を起こさなければならない。ある練習で参加者が失敗したとき、もう一度やりたくなるように設計するのだ。これは練習の初期設定(たとえば、列の先頭に戻る)でも、毎回アドリブ(「ここに立ってもう2、3回やってみようか、チャールズ?」)でも可能だ。