第2640冊目 成功する練習の法則―最高の成果を引き出す42のルール ダグ・レモフ (著), エリカ・ウールウェイ (著), ケイティ・イェッツイ (著)


成功する練習の法則―最高の成果を引き出す42のルール

成功する練習の法則―最高の成果を引き出す42のルール


練習における「習得の確認」では、できるだけ早く、かつ前向きにまちがいに反応して、補正することが求められる。と同時に、発想の転換も必要だ。結果をデータとしてとらえるのだ。練習をしているときに、参加者の3人が続けてまちがったのあと、ひとりが正しくできたとする。「よかった。ようやくできるようになった」と思いたくなるかもしれないが、じつは「できるようになったのは4人のうちたったひとりだけだ」が正解かもしれない。つまり、喜ばしい知らせではなく、心配な知らせと考える。この章で紹介したサッカーの練習では、まちがったドリブルを刷りこまれた選手は、まちがったやり方がうまくなってしまう。原因のひとつは反復練習の設計にある。コーチや選手の注意を、うまくできているかどうかに向けるのがむずかしいのだ。5つの異なったプレーが同時進行しているなかで、データにもとづいた体系的な「習得の確認」に集中するのはむずかしい。どこかを見るたびに――シュートのときに足首がぐらついていないか、膝は曲がっているか、爪先は立っているか――新しいことが起きている。その結果、参加者のそれぞれの習得レベルに意識が向かなくなる。反復練習が複雑になればなるほど、失敗の分析はおろそかになりがちだ。それてそれがいつまでも続く。


失敗が組み込まれる第二の原因は、学習曲線を急上昇させようとして、コーチがむずかしいことをしたら、バッティングセンターで時速100キロの球を打ってすぐれたバッタになれると早く思いたくなるが、それは事実ではない。現在の能力より少しだけ高いレベルの球に取り組めば、いまやっていることの微調整ができるし、うまくいくかどうかも確かめられる。しかし、球が速すぎて空振りばかり続いてしまうと、当てようと懸命になるばかりで、できていたこともできなくなり、当てずっぽうに動きはじめる。剛速球を打ち返そうとむなしく努力しつつ、新たな悪い習慣を育てるおそれがあるのだ。


認知科学者のダニエル・ウィリンガムは、著書「Why Don't Students Like School?」のなかで、解けと言われた問題がさほど深刻ではなく、やりがいがあり、少しずつ着実に前進できる場合に、学習はもっとも速く進むと述べている。問題のレベルを上げすぎると学習は遅くなる。さらにウィリンガムによると、問題をゆっくりと段階的にむずかしくしていくと、人はそれを解くのが好きになる。うまく学習していることがわかってうれしくなるのだ。しかし、逆に言えば、失敗のダメージが大きくなりうるとうことでもある。失敗すると落胆し、あきらめてしまうかもしれない。何度もまちがえて、なおも前進するには、非常に大きな意志の力が必要だ。ルーおじさんが99回がんばって、うまくいかなかったことを鮮明に覚えているのは、おそらく人生でそれほど苦悩したのがそのときだけだったからだろう。


最後に大事なことをひとつ。練習のあいだに参加者は何より成功を体験すべきだが、理想の成功率は100パーセントではない。もし100パーセントなら、その練習はやさしすぎる。たいていの参加者がうまくやれる程度の成功率が最適だ。まちがいがかなり発生する練習を始めた場合には、参加者が成功しだすまでやめてはいけない。それでもまちがいが減らなければ、そのまま続ける必要があるのかどうか自問してみる。プロセスを設計し直して、複雑か変動要素を取り除き、タスクを一時的に単純化してもいいだろう。一連のスキルを分解して、ひとつだけに集中できるようにするか、とりあえず全体の流れをゆっくりにして、複雑なことも処理できる時間を与え、あとでペースを速める。


大まかに言うと、練習の目標は、正しいやり方で可能なかぎり速くできるようにすることだ。正しくできないときには速度を落としてやり直す。すると当然ながら、参加者はきわめて複雑なタスクを正しく処理しながら、100パーセントではないにしろ、一貫して成功を収められるようになる。正しくできないときには、習熟が見えるところまで複雑さを取り除いて、そこから少しずつ段階を上げていく。