第2272目 成功する練習の法則―最高の成果を引き出す42のルール ダグ・レモフ (著), エリカ・ウールウェイ (著), ケイティ・イェッツイ (著)


成功する練習の法則―最高の成果を引き出す42のルール

成功する練習の法則―最高の成果を引き出す42のルール

  • 成功を体感できるものにする


私たちはよく「練習で完璧になる」と言う。本書の原題「Practice Perfect」も、練習と完璧のつながりをもじったものだが、じつのところ、練習で完璧になるというより、練習で永遠になる、のほうが正確だ。練習でひとつのスキルを完全に習得できることもあるし、まったくできないこともある。習得したスキルが正しい場合も、まちがっている場合もあるが、よかれあしかれ筋肉の記憶か思考回路に刷りこまれて、習慣となる。まちがった動きを練習すれば、チームは本番でまちがった動きをする。漫然と練習すれば、本番でも漫然と動くことになる。つまり、練習できわめて重要な目標は、内容が何であろうと参加者が正しくおこない、成功をしっかりと組みこむことだ。


当たりまえに思えるかもしれない。しかし、まちがった練習のほうがむしろ多いのだ。原因はたくさんあるが、とりわけ目につくのは次のふたつだろう。第一に、練習をじっくりと戦略的に観察して、参加者が正しくやっているかどうかを確認していない。第二に、学習曲線を急上昇させるためにまちがった努力をして、失敗の可能性を高めている。このふたつの落とし穴についてはすぐ後にくわしく述べるが、ここで少し脱線して、失敗を美化することについて考えてみる。


たとえばルーおじさんがその思いを語ってくれる。(a)弁論趣意書の書き方、(b)自転車の乗り方、(c)タランチラ(南イタリアの民謡舞曲)の踊り方、(d)屋根の葺き方。そしてこう言う。「100回がんばったよ。初めの99回はうまくいかなかったが、へこたれずに続けて、ようやくできた」。最終的に習得できたし、そのための苦労はかけがえのないものだったというルーおじさんの意見は正しいかもしれない。


だが、彼のやり方でじつにたくさんのことが学べるからといって、それが最高に効率よく、効果の上がる学び方とはかぎらない。ルーおじさんは本来必要な時間と努力の10倍をかけて学んだのかもしれない。もっと効率よく学んでいれば、いまよりもっと上達していたかもしれないのだ。投資のキャッシュフローを評価するにしろ、公立学校で授業をするにしろ、野球のゴロのさばき方を教えるにしろ、人を練習で上達させたいなら(あるいはそれを生業にしているなら)、失敗を美化する話は疑ってかかることだ。失敗は個性や粘り強さを育てるかもしれないが、スキルはそれほど育てない。


第一の原因が生じるのは、練習の成功率をきちんと監視していないからだ。「彼が習得するまで、教えたとは言えない」とウッデンはよく口にしたが
、もっともすぐれた教師は、生徒たちが習得しているかどうか数秒後ごとに確認する――「理解の確認」と呼ばれる作業だ。理解不足を長く放置すればするほど、修正が困難になるのを知っているので、みな本当に理解しているだろうか、とつねに自問しているのだ。


練習の場合には、教えようとしていることを参加者ができているかどうかをしっかり観察し、結果を確認するだけでなく、結果にもとづいて行動を起こさなければならない。さる練習で参加者が失敗したとき、もう一度やるたくなるように設計するのだ。これは練習の初期設定(たとえば、列の先頭に戻る)でも、毎回のアドリブ(「ここに立ってもう2、3回やってみようか、チャールズ?」)でも可能だ。


練習における「習得の確認」では、できるだけ早く、かつ前向きにまちがいに反応して、補正することが求められる。と同時に、発想の転換も必要だ。結果をデータとしてとらえるのだ。練習をしているときに、参加者の3人が続けてまちがったあと、ひとりが正しくできたとする。「よかった。ようやくできるようになった」と思いたくなるかもしれないが、じつは「できるようになったのは4人のうちたったひとりだ」が正解かもしれない。つまり、喜ばしい知らせではなく、心配な知らせと考える。この章の冒頭で紹介したサッカーの練習では、まちがったドリブルを刷りこまれた選手は、まちがったやり方がうまくなってしまう。原因のひとつは反復練習の設計にある。コーチや選手の注意を、うまくできているかどうかに向けるのがむずかしいのだ。5つの異なるプレーが同時進行しているなかで、データにもとづいた体系的な「習得の確認」に集中するのはむずかしい。どこかを見るたびに――シュートのときに足首がぐらついていないか、膝は曲がっているか、爪先で立っているか――新しいことが起きている。その結果、参加者のそれぞれの取得レベルに意識が向かなくなる。反復練習が複雑になればなるほど、失敗の分析はおろそかになりがちだ。それがいつまでも続く。


失敗が組みこまれる第二の原因は、学習曲線を急上昇させようとして、コーチがむずかしいことをさらにむずかしくしてしまいがちなことだ。裏庭でボールを100球打ってすぐれたバッターになれるとしたら、バッティングセンターで時速100キロの球を打てば、さらにすぐれたバッターにもっと早くなれると思いたくなるが、それは事実ではない。現在の能力より少しだけ高いレベルの球に取り組めば、いまやっていることを微調整ができるし、うまくいくかどうかも確かめられる。しかし、球が速すぎて空振りばかり続いてしまうと、当てようと懸命になるばかりで、できていたこともできなくなり、当てずっぽうに動きはじめる。剛速球を打ち返そうとむなしく努力しつつ、新たな悪い習慣を育ておそれがあるのだ。