第1284冊目 成功する練習の法則―最高の成果を引き出す42のルール [単行本] ダグ・レモフ (著), エリカ・ウールウェイ (著), ケイティ・イェッツイ (著)

成功する練習の法則―最高の成果を引き出す42のルール

成功する練習の法則―最高の成果を引き出す42のルール


事前にするべきことを伝える


プロの多くは、訓練や入社研修の一部に「シャドーイング」と呼ばれる手法を取り入れている。理由はわかる。高いスキルを持つスタッフや、つねにすばらしい業績をあげる社員がいるなら、その強みを活かしたいと思うのは当然だ。それに、新人に誰を見習うべきかはっきり示しておくのもいいことである。ところが、こうしたシャドーイングは、もっとも効果のあがらない手本になってしまう可能性がある。なぜか? すぐれた学習に欠かせない単純なひとつのことを、あまりに何度も無視しているからだ。すなわち、「ショットをコール」していない。すべきことを事前に言っておかなくては伝わらないのだ。


ビリヤードのいくつかの種目でも、狙う球をどこに沈めるかあらかじめコールしてからショットしなければならない(たとえば「3番をコーナーポケットに」)。手本を見せるときも同様で、意図をはっきりさせ、学ぶ側が何を見て探すべきかを知らせる準備に時間をかけるべきだ。入って来たばかりの新人は、自分に何ができるかもわからないし、ほかの人が持つスキルを見出す訓練も受けていない。何を見るべきか伝えておかなかれば、無駄なことばかり観察してしまうおそれがある。あなたのお義母さんがアメフトを見て、思いつくまま意見を言うのを聞くのは楽しいが(「あの人たちはどうしてあんなふうにお尻を叩き合うの?」)、同業他社に追いつこうとしている場合には楽しんでもいられない。


営業チームに新しく採用されたアミルの例をあげよう。彼は快活で熱心な新人だ。研修では営業チームのシニアマネジャーであるサラのシャドーイングをすることになった。アミルはサラといっしょに、新しい顧客との打ち合わせに出席する。顧客は明らかに製品に興味を示すが、契約締結までに条件の交渉がある。サラがさまざまな数字を提案してから黙りこむ様子を、アミルは驚きながら観察する。顧客もサラも黙ったままだ。部屋の緊張は肌で感じられるほどで、アミルは退席すべきだろうかと悩む――サラの調子が悪い日だったちにがいない。けれども、打ち合わせが終わるまでにサラと顧客は合意できる条件に達し、新しい契約を結ぶ。顧客が去ると、アミルはぎこちなく微笑み、目をそらす。サラは彼を次の打ち合わせへと急ぎ立てる。いま見たことを話し合う気まずい時間が避けられて、アミルは心底ほっとする。


次にアミルはサラと大口顧客との重要な打ち合わせに同席する。サラは親しげで、明らかにその顧客のことをよく知っている様子だ。サラはともに歩んできた長い歴史を振り返りつつ、両社の関係は実りあるものだったが、課題も多かったと述べる。自社がこれから進む方向を伝え、この先、顧客の意に添わない変更があるかもしれないと懸念を告げる。アミルは、サラが顧客の要望に応えながら、できるかぎりの努力をして、互いに契約をまとめるのを見た。この打ち合わせこそあるべき姿だと確信して、アミルはサラのためにも、自分のためにも安堵する。具体的で前向きなフィードバックをたくさん返せることにもほっとする。サラと顧客は満面の笑みとしっかりと握手で打ち合わせを終了する。


その後、サラはアミルに2件の打ち合わせについてどう思ったか質問する。アミルは最初の打ち合わせについて、サラの苦労に同情し、自分がいたためにいっそうやりにくかっただろうと謝る。この話題にはあまり触れたくなかったので、それ以上何か言ってしまうまえに話を次の打ち合わせに移す。アミルはサラの真摯な態度と、交渉に集中しながらも楽しく会話を続けていたプロ意識を絶賛する。サラは申しわけなさそうにアミルを見る。ふたつの打ち合わせで起きたことをアミルが完全に見誤ってしまったことに気づいたのだ。


経験豊かな営業担当者が見れば、最初の打ち合わせは想像以上にうまくいったことがわかる。サラの真剣勝負のやりとりが功を奏し、顧客は喜んで契約にサインしたので、会社は彼女が期待していたより大きい利益を得ることになった。このような状況でしゃべりすぎる傾向があることは自分でもわかっていたので、サラはあえて沈黙を貫き、顧客に返答の責任を負わせたのだ。次の打ち合わせについては、アミルは熱心に褒めてくれたが、目標は達成できなかったとサラは言った。打ち合わせのまえから、この顧客との契約は終了するのが正しいとわかっていた。だが、サラは顧客に屈し、数ヶ月後に顧客が腹を立てて新しい業者を探しはじめるのがわかっていたにもかかわらず、契約を更新した。アミルが楽しい雰囲気ととらえたものは、打ち合わせで直接メッセージを伝えられなかった自分の能力のなさだと、サラは反省した。


ようやくアミルは、状況をすっかり誤解していたことに気づく。サラもだ。もしふたりで意見を交わす時間がなく、その日についてアミルが感じたことをそのままにしていたらどうなっただろう。アミルはまちがった瞬間に集中して、そのとき見たことをまちがって解釈し、まちがったことを覚えてしまったはずだ。サラがあとから考えてみると、落とし穴があった。アミルがシャドーイングをしていたのは、職場に来たばかりの新人だからであり、ならば、見たことをどう解釈すべきか彼が知っていると期待するのは、当然でも現実的でもなかったのだ。


もしサラがアミルにまえもって打ち合わせで見るべきことを伝えていたら、この話はどうなっただろう。たとえば、彼女はこんなふうに言える。「アミル、お客さんに対してこれから私がどうするか見ていて。この数字がお客さんに同意してもらいたい金額。あちらの返答を待つあいだ、私は黙りこむかもしれない――気まずい雰囲気になると思う――でも、私がすぐに話しだしたら、それはたいていこちらが要求した金額を撤回するという意味だから。目標を達成するために、ほかに私がどんなテクニックを使うか気をつけていて」。これでアミルが見るべきことがはっきりするし、見つけられる可能性も高まる。さらに、目標達成のためにほかに何かをするかと具体的な質問を投げかけておいてアミルの理解力を試すこともできる。


しようとすることをまえもっていなわい手本を示す本当の危険性は、学ぶ側が本筋から離れた些末なことや、成功を阻害しそうなことを最初から身につけて、練習に入りうることにある。アミルは仕事の能力に対して謝った考えを持ったまま働きはじめるところだった。手本をまちがえて解釈したために、顧客のと打ち合わせで好ましくない行動をとる可能性も大いにあった。あるサッカー選手はスター選手の足さばきに注目するばかりで、目の使い方を見逃すかもしれない。つまり、プレーに非常に効果のある重要なテクニックを見逃しているのだ。


悩んでいる教師はよく、すぐれた教師に授業を参観させてほしいと頼む。どのように「正しくやる」のか、どのように弱みを克服するのか、方法を学んで、課題への取り組み方を見習いたいと思うからだ。いい考えのようだが、問題はどこに注目すべきかわからないことだ。指示の与え方を見るべきときに、教室内に貼り紙を見ているかもしれない。授業が進むにつれて、すぐれた教師が使う個々のテクニックを見分けて整理することなど誰にもできなくなる。観察しているほうがとりわけ目利きで、教師の意図的な動きの一つひとつを識別できないかぎり、手本の何が成功をもたらしているのか勝手に判断してしまう。ほんの数分でもショットをコールする時間をとれば、マイナスの経験になりえたものを、最高の手本から学ぶ絶好の機会にすることができるのだ。