第2948目 カリスマは誰でもなれる オリビア・フォックス・カバン (著), 矢羽野 薫 (翻訳)


カリスマは誰でもなれる (ノンフィクション単行本)

カリスマは誰でもなれる (ノンフィクション単行本)


会話の途中で、相手が上半身をそらしたり、頭を後ろに傾けたり、あなたから数歩離れたりしていることに気がついたとしよう。パーソナルスペースをもっと確保したいという合図かもしれない。ここで最もいけないのは、相手に近づこうとすることだ。そのような振る舞いは相手の不快感を増やし、そうした感情をあなたと関連づけさせる可能性は十分にある。こういうときは、あなたも体をそらすか、数センチ下がって、相手にスペースを提供する。


パーソナルスペースの広さは文化や人口密度、あるいは状況によって異なり、ひとりひとりの「安全地帯」は大きく変動する。混んだエレベーターの中や地下鉄など特定の状況では、普段よりパーソナルスペースが制限されることを受け入れるだろう。


パーソナルスペースの感覚が深くしみついていることを私が実感したのは、混雑した地下鉄の車内で自分の本能を制御しようと試みたときのことだ。ドアが開いて乗客がどっと降りると、車内にいくつか空間ができたが、私は隣に立っている人のそばを離れたい衝動に抵抗してみようと思いついた。同じ場所に同じ体勢で立ちつづけ、周囲に押されて隣の人とほとんどくっつきそうになった。


私は人間の本能についてよく知っているのだから、本能の束縛から自由になれるのではないかと思ったのだが、もちろん無理だった。自分でも驚いたkとに、私は実際に肉体的な不快感を覚え、耐えがたいほど不快になった。その場で立っていようと最大限努力していたつもりだったが、気がついたときには、私の体は私のものではなかった。足は踏ん張ったまま、バランス感覚と重力が許すかぎり体をのけぞらしていた。


パーソナルスペースは他人とのやりとりに影響を与え、状況の感じ方を変える。だから交渉人は、どこに座るかを慎重に考える。座席の選択が、交渉全体の結果に影響を及ぼしかねないと知っているからだ。たとえば、テーブルを挟んで向い合わせに座ると、話す文章が短くなり、議論になりやすく、話の内容を覚えていないこともある。