第2638冊目 プロフェッショナルの条件―いかに成果をあげ、成長するか P・F. ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳)


  • 強み重視の人事


成果をあげるためには、人の強みを生かさなければならない。利用できるかぎりのあらゆる強み、すなわち同僚の強み、上司の強み、自らの強みを総動員しなければならない。強みこそが機会である。強みを生かすことは組織に特有の機能である。


組織といえども、人それぞれがもっている弱みを克服することはできない。しかし組織は、人の弱みを意味のないものにすることができる。組織の役割は、人間一人ひとりの強みを、共同の事業のために建築用ブロックとして使うところにある。


成果をあげるためには、強みを中心に据えて異動を行い、昇進させなければならない。人事のいては、人の弱みを最小限に抑えるよりも、人の強みを最大限に発揮させなければならない。


リンカーン大統領は、グラント将軍の酒好きを聞いたとき、「銘柄が分かれば、ほかの将軍たちにも贈りなさい」といったという。ケンタッキーとイリノイの開拓地で育ったリンカーンは、飲酒の危険は十二分に承知していた。しかし北軍の将軍の中で、常に勝利をもたらしてくれたのはグラントだった。事実、彼を最高司令官に任命したことが、南北戦争の転換点となった。酒好きという弱みではなく、戦い上手という強みに基づいて司令官を選んだゆえに、リンカーンの人事は成功した。


人の弱みに配慮して人事を行えば、うまくいったところで平凡な人事に終わる。強みだけの人間、完全な人間、完成した人間を探したとしても、結局は平凡な組織をつくってしまう。


大きな強みをもつ人は、ほとんど常に大きな弱みをもつ。山があるところには谷がある。しかも、あらゆる分野で強みをもつ人はいない。人の知識、経験、能力の全領域からすれば、偉大な天才も落第生である。申し分のない人間などありえない。そもそも何について申し分がないかも問題である。おそらくは、強い人間に脅威を感じるのであろう。しかし、部下が強みをもち、成果をあげることによって苦労させられた者などひとりもいない。


アメリカの鉄鋼王アンドリュー・カーネギーが自らの墓碑柄に選らんだ「おのれよりも優れた者に働いてもらう方法を知る男、ここに眠る」との言葉ほど、大きな自慢はない。まさに、これこそが、成果をあげるための処方である。もちろん、カーネギーの部下たちが優秀だったのは、彼が部下の強みを見出し、それを仕事に適用させたからだった。彼ら鉄鋼業の人材は、それぞれがそれぞれ特定の分野において、特定の仕事のおいて優秀だった。もちろん、もっとも大きな成果をあげたのがカーネギーだった。


リー将校にまつわる話は、人の強みを生かすことの本当の意味を教えてくれる。あるとき、部下の将軍のひとりが命名を無視し、リーの戦略を台なしにした。それが初めてではなかった。ふだんは感情を抑えるリーが怒った。しかし、落ち着いたところで、副官が「解任しますか」と聞いたところ、驚いたという顔で「ばかなことをいうな。彼は仕事ができる」といったという。


人に成果をあげさせるたには、「自分とうまくやっていけるか」を考えなくてはならない。「どのような貢献ができるか」を問わなければならない。「何ができないか」を考えてもならない。「何を非常によくできるか」を考えなければならない。特に人事では、一つの重要な分野における卓越性を求めなければならない。


強みをもつ分野を探し、それを仕事に適用させなければならないことは、人間の特性からくるところの必然である。全人的な人間や成熟した人間を求める議論には、人間のもっとも特殊な才能、すなわち一つの活動や成果のためのすべてを投入できるという能力に対する妬みの心がある。それは、卓越性に対する妬みである。人の卓越性は、一つの分野、あるいはわずかの分野のおいて実現されるのである。


強みに焦点を合わせることは、成果を要求することである。「何ができるか」を最初に問わなければ、真に貢献できるものよりも、はるかに低い水準に甘んじざるをえない。成果をあげることを初めから免除することになる。致命的ではなくとも、破滅的である。当初、現実的でもない。


真に厳しい上司とは、つまるところ、それぞれの道で一流の人間をつくる人である。彼らは、部下がよくできるはずのことから考え、次に、その部下が本当にそれを行うことを要求する。