第2637冊目 プロフェッショナルの条件―いかに成果をあげ、成長するか P・F. ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳)


  • フィードバックの仕組みをつくる


第五に、決定の基礎となった仮定を現実に照らして継続的に検証していくために、決定そのものの中にフィードバックを講じておかなければならない。決定を行うのは人である。人は、間違いを犯す。最善を尽くしたとしても、必ずしも最高の決定を行えるわけではない。最善の決定といえども、間違っている可能性は高い。そのうえ、大きな成果をあげた決定も、やがて陳腐化する。


アイゼンハワー元帥が大統領に当選したとき、前任者のハリー・S・トルーマンは、「アイクもかわいそうに。元帥のときは命令すれば、その通り実行された。これからは、あの大きなオフィスから命令しても、何も起こらないだろう」と言ったという。だが「何も起こらない」のは、元帥のほうが権力があるからではない。それは、軍がはるかむかしから、命令なるものがそのまま実行されないことが多いことを知っており、命令の実行を確認するためのフィードバックを組織化しているからである。


軍では、決定を行った者が自分ででかけて確かめることが、唯一の信頼できるフィードバックであることを知っている。フィードバックは、はるかむかしから確立されている。トキュデイデスやクセノフォンは当然のこととしていた。中国の戦略書やシーザーも当然のこととしていた。


大統領が手に入れられる唯一の情報たる報告書なるものは、まったく助けにならない。これに対し、あらゆる国の軍が、命令を出した将校が自ら出かけ確かめなければならないことを知っている。少なくとも副官を派遣する。命令を受けた当の部下からの報告をあてにしない。信用しないということではない。コミュニケーションが当てにならないことを知っているだけである。


大統領自らが隊員食堂に出かけていって隊員用の食事を試食するのも、このためである。メニューを見て料理を運ばせることはできる。だが、そうはしない。自ら隊員食堂に出かけ、兵隊たちと同じ鍋からとる。


コンピュータの到来とともに、このことはますます重要になる。決定を行う者が、行動の現場から遠く隔てられるからである。自ら出かけ、自ら現場を見ることを当然のこととしないかぎり、ますます現実から逃避する。コンピュータが扱うことのできるものは抽象である。抽象されたものが信頼できるのは、それが具体的な現実によって確認されたときだけである。それがなければ、抽象は人を間違った方向へ導く。


自ら出かけ確かめることは、決定の前提となっていたものが有効か、それとも陳腐化しており、決定そのものを再検討する必要があるかどうかを知るための、唯一でなくとも最善の方法である。


われわれは、フィードバックのために、組織的な情報収集を必要とする。報告や数字も必要とする。しかし、現実に直接触れることを中心にしてフィードバックを行わないかぎり、すなわち自ら出かけ確かめないかぎり、不毛の独断から逃れることはできず、成果をあげることもできない。