第2619冊目 プロフェッショナルの条件―いかに成果をあげ、成長するか P・F. ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳)


  • 定期的に検証と反省を行う――編集長の教訓


私がなぜ長い間、知的な世界のおいて仕事を続けることができたのかについて、次に紹介したいのは、勤め先の新聞社の編集長で、当時のヨーロッパでも指折りのジャーナリストだった人から教わったことである。


当時、記者の平均年齢は二二歳前後という恐ろしい若さだった。その中で私は、間もなく三人の論説委員のひとりに抜擢された。それほど優秀だったわけではない。記者としては一流だったことは、一度もない。実は、一九三〇年ころの当時、私の地位に就くべき人たち、年でいれば三五歳前後の人たちが、ヨーロッパ全体に払底していたからだった。


第一次世界対戦で大勢の働きざかりが死んでいた。そのため、重要な責任ある地位に、私にような若い人間を充てなければならなかった。太平洋戦争が終わって一〇年後の一九五〇年代の半ばから終わりのころ、私が訪れたころの日本に似ていた。


当時五〇歳くらいだったその編集長は、大変な苦労をして私たち若いスタッフを訓練し、指導した。毎週末、私たちの一人ひとりと差し向かいで、一週間の仕事ぶりについて話し合った。加えて半年ごとに、一度は新年に、一度は六月の夏休みに入る直前に、土曜の午後と日曜を使って、半年間の仕事ぶりについて話し合った。編集長はいつも、優れた仕事から取り上げた。次に、一生懸命やった仕事を取り上げた。その次に、一生懸命やらなかった仕事を取り上げた。最後に、お粗末な仕事や失敗した仕事を痛烈に批判した。


この一年に二度の話し合いの中で、いつも私たちは、最後の二時間を使ってこれから半年間の仕事について話し合った。それは、「集中すべき仕事は何か」「改善すべきことは何か」「勉強すべきことは何か」だった。私にとって、年に二度のこの話し合いは大きな楽しみになった。しかし新聞社を辞めた後は、そのようなことをしていたことさえ忘れた。


ところがその後、一〇年ほどたって、米国でこのことを思い出した。一九四〇年代の初めのころ、アメリカで大学の教授になり、同時にコンサルタントの仕事をしていた。何冊かの本も出していた。そのころ、フランクフルトの編集長が教えたくれたことを思い出した。それ以来私は、毎年夏になると、二週間ほど自由な時間をつくり、それまでの一年を反省することにしている。


そして、コンサルティング、執筆、授業のそれぞれについて、次の一年間の優先順位を決める。もちろん、毎年八月につくる計画どおりに一年を過ごせたことは一度もない。だがこの計画によって、私はいつも失敗し、今後も失敗するであろうが、とにかくヴェルディの言った完全を求めて努力するという決意に沿って、生きざるをえなくなっている。