第2610冊目 FBI捜査官が教える「しぐさ」の心理学 ジョー ナヴァロ (著), マーヴィン カーリンズ (著), 西田 美緒子 (翻訳)


FBI捜査官が教える「しぐさ」の心理学 (河出文庫)

FBI捜査官が教える「しぐさ」の心理学 (河出文庫)

  • 見つめる


誰かをまっすぐに見つめるのは、世界中どこでも、相手を好きか、相手に興味があるか、相手を脅かそうとしているかだ。恋人同士は頻繁に違いの目を見つめ合うし、母と子も見つめ合う。しかし人を食い物にする悪者も、標的を魅入らせるため、または脅すために、同じことをする(殺人鬼として知られるテッド・バンディやチャールズ・マンソンの目つきを思い出してほしい)。言い換えれば、脳は愛情と関心と憎悪を伝えるのに、同じ行動――じっと見つめる動作――を採用しちえることになる。だから、目を見つめる行動から本心を読み取るには、それに伴うほかの表情から、好きか(穏やかな笑顔)嫌いか(緊張した顎、強く結んだ唇)を見分ける必要がある。


その逆に、私たちが会話中に遠くをじっと見つめるのは、話している相手を見て気を散らすことなく、もっとはっきり考えに集中しようとしているときだ。この行動は不作法または相手を拒絶していると間違えて受け取られることがよくあるが、そうではない。また、ごまかしや無関心のサインでもなく、実際には快適な気持ちを表している(ヴリジ、二〇〇三年)。友だちと話しているときには、会話中ごく普通に遠くを何度も見る。そうするのが心地よいからで、大脳辺縁系が会話の相手に脅威を感じていない証拠だ。話し相手が目をそらすからといって、ウソをついているとか、無関心、不機嫌の表れだと思ってはいけない。遠くを見ると考えをはっきりさせられることが多いから、遠くを見ているだけだ。


話し相手から目をそらす理由は、ほかにはたくさんある。下を見るのは、感情や感覚を整理しているから、または心の中で話をしているからで、従順な気持ちの表れだろう。権威者や地位の高い人の面前では、うつむき加減になるなどして視線をそらすのが当然になっている文化は多い。子どももたいていの場合、両親などの大人に叱られているときは、おとなしく下を向くよう教えられている(ジョンソン、二〇〇七年)。気恥ずかしくなるような状況では、見ている人が礼儀で目をそらすこともある。下を見るのはごまかしのサインだと考えてはいけない。


研究されてきたすべての文化で、支配力のある人物ほど、じっと見つめる行動の自由が許されていることが確認されている。要するに、力があればどこでも好きなところを見る視覚がある。その逆に従属する者は、いつ、どこを見るかに、制限が多くなる。教会の中のように気高い存在の前では、謙遜によって頭が下がる。一般的に、支配者は従属者を視野の中で無視し、従属する者は支配する者を遠くから見つめる傾向がある。言い替えば、地位が高い人物ほど視線に無頓着でいいのに、地位が低ければ視線に注意が必要だということになる。王様は誰でも好きな人のほうを見ていいが、すべての家臣は王様のほうを向いていなければならず、部屋を退出するときでさえ後ずさりして出る。


雇い主の多くは、就職希望者が面接の席上、「まるで自分が部屋の持ち主であるかのように」部屋じゅうを見回すのは不愉快だと話している。目がきょろきょろしていると、無関心か、優越感をもっているように見えるため、相手に悪い印象を与える。就職の面接で、面接官のほうを注視せず部屋を見回す人は、そこで働きたいかどうかを確かめようとしているとしても、働くチャンスはなさそうだ。