第2343冊目 カリスマは誰でもなれる オリビア・フォックス・カバン (著), 矢羽野 薫 (翻訳)


カリスマは誰でもなれる (ノンフィクション単行本)

カリスマは誰でもなれる (ノンフィクション単行本)

  • カリスマ的な伝え方


批判を伝えるタイミングと場所を考え、具体的で思いやりのある言葉を選らんだら、次はカリスマらしく伝えなければならない。これについては最初が肝心だ。話の切り出し方は、会話全体に対する受け止め方に影響を与える。


人間は「初めて」を覚えているものだ。何かが初めて起きたとき、何かを初めて経験したとき。そして「最後」も同じくらい覚えている。これについて、大腸内視鏡検査を受けた患者を対象にした研究がある。1つのグループは検査が3分間で終わった。もう1つのグループはもう少し時間がかかったが、最後の2分間は内視鏡が固定されていたため、検査が終わる際の痛みははるかに小さかった。すると、後者のグループの患者のほうが「痛い検査だった」という印象が薄く、もう一度うけてもいいと答えた人が多かった。


批判を肯定的な雰囲気で始めれば、その影響は最後まで続くだろう。やりとりが始める瞬間は最も不安を感じやすい。まずは、あなたが相手を尊重していて、人としての価値を認めていて、同僚などとして大切な存在であることを伝えて、相手が落ち着いて話を聞けるようにしよう。


相手が自分の価値を再認識できれば、あなたの意見をはるかに受け入れやすくなり、自己防衛も和らぐだろう。この第一段階は、保身的な反応を軽減させるために最も重要かもしれない。自己防衛は、つまるところ、不安と恐怖の表れにすぎないことも多い。


たとえば、同僚がなかなか自分の意見を言わなかったとしよう。そのことを直接指摘するのではなく、まず彼の貢献を認める。そうすれば同僚は、自分のこれまでの実績が正当に認められていると感じる。また、普段の振る舞いに間違いなく、今回は一時的な過ちにすぎないという意味にもなる。


肯定的な指摘に続いて、本題に移る。このときあなたが相手に「望まないこと」ではなく、「望むこと」を具体的に伝える。教職課程では、「してはいけません」ルールを作らないと教わる。たとえば、「耳の穴に豆を入れてはいけません」と指示すると、クラスの半分の生徒がすぐに豆を入れてみるだろう。


あなたが求める正しい振る舞いを説明する場合は、個人攻撃のような指摘はしない。「プレゼンテーションの準備をもっと早くできなかったのか」ではなく、「これからは数日前に準備ができていると、とてもありがたい」と言えば、誰が正しくて誰が間違っているのかという問題はわきに置いて、勝ち負けを決めずに2人が合意しやすい点に集中できる。


難しい人を相手にするときと同じように、批判されている人が不快感を抱かないようにする。あなたは間違っていると言われると、自分が悪いとわかっていても、なんとか正当化しようとするものだ。そうした反応は自我を傷つけ、怒りを呼び起こし、自分の罪悪感を軽くするためにあなたの信用を落とそうとしかねない。