第2206冊目 写真で学ぶ拘縮予防・改善のための介護 田中 義行 (著)


写真で学ぶ拘縮予防・改善のための介護

写真で学ぶ拘縮予防・改善のための介護

  • 「コトバ」の使い方はできるだけ適切に


最近とても気になることがあります。それは、片麻痺認知症など「治る」と表現されている書籍等を時々見かけるからです。


もし「治った」というならば、おそらくその後の服薬や専門職などによるケア、自らのセルフケアなどはほとんど必要としなくなる状態にあると思います。たとえば、認知症を考えればわかるように、いくらさまざまな症状を落ち着きてきたとしても、その後のケア(フォロー)が必要なくなるということはまずありません。


中枢神経というのは「可塑性」がありますので、中枢神経障害による麻痺は「よくなる」ことはありますが、「治る」ことは現代の医学では難しいといわざるを得ません。たしかに、整形外科疾患での障がいの場合は、適切なアプローチで「治る」ことも、かなりの割合で多くあります(もちろん障がいが残ることもあります)。認知症があってBPSDなどの状態が落ち着いている人が、その後もBPSDが出現しない状態でいられるように支援していくために、専門的なケアは継続して必要であり、その状態をコトバで表現する場合には「治った」のではなく「よくなった」と表現するほうが適切であると考えます。


「よくなる」ことを「治る」とほど同義語に捉えている人たちの主張を確認すると、脳血管障害を起こしたり、また、認知症のような「中枢神経系の
問題」と、骨折などの「整形外科系の問題」を同じようなものとして考えているように思います。


今現在、現場で医療福祉関係の仕事をされている方の中には、過去に整形外科疾患を経験した人は多いと思いますが、中枢神経疾患による「麻痺」を伴うような経験をされた方は、比較すると圧倒的に少ないでしょう。「治る」というコトバの使い方は正しいと主張されている人の経験談も、圧倒的に整形外科疾患についてを取り上げていることが多くみまれます。しかし、疾患のメカニズムや、そもそも互いが根本の違う状況を持ち出して議論してもかみ合うはずがありません。


そして「治る」と「よくなる」というコトバや考えが混在して連携が進んでしまうと、後々に大きなズレとして問題が表出してしまうので、目標、アプローチの考え方、予後予測などにも最終的に大きなズレが生じてきます。筆者自身の経験でも、「治る」と信じて利用者自身が無理をしていまい、「誤用症候群・過用症候群」という二次的な障害を引き起こした事例を多く見てきました。


他にも最近よく聞く「傾眠」というコトバ。本当は「名識不能状態・傾眠・昏迷・せん妄・昏睡」というように意識障害のレベルを表すコトバなので、本来は簡単に使えるコトバではありません。昔救命救急の医師より、「傾眠というコトバを使われると、こちらは意識障害があると思ってしまうのでコトバは適切に使ってほしい」と注意を受けたことがあります。たしかに「意識障害」と「日中の覚醒が悪い」というのはイコールではないはずです。


適切なコトバを使わない(使えない)ことは、最終的には利用者の不利益につながると思います。この仕事は連携なくしては考えられないですから、まず自分自身から適切な、相手に誤解を与えないように気をつけていくべきだと思います。