第2101冊目 カリスマは誰でもなれる  オリビア・フォックス・カバン (著), 矢羽野 薫 (翻訳)


カリスマは誰でもなれる (ノンフィクション単行本)

カリスマは誰でもなれる (ノンフィクション単行本)


――プレゼンス


自分のプレゼンスを意識することに集中しようとしても、心がつねに揺れていることに気がついただろうか。完全なプレゼンスを維持することは、いつも簡単なわけではない。その理由は大きく2つある。


1つ目の理由は、人間の脳が、視覚やにおい、音など、新しい刺激に注意を払うようにできていることだ。脳の回路は、新しい刺激に注意を奪われるように配線されている。集中しようとしても、「こちらのほうが大切かもしれない」「あれに食べられるかもしれない」と気が散りやすい。これは、私たちの祖先にとおて生き延びるすべでもあった。2人の男が草原で狩りをしていて、家族に食べさせるアンテロープを探して地平線に目を凝らしている。そのとき遠くで何かが光った。すぐに反応しなかった男は――子孫を残せない。


2つ目の理由は、現代の社会が気を散らすように助長していることだ。私たちの脳は絶えず刺激が流れ込むため、もともと気が散りやすい傾向に拍車がかかる。その結果、つねに注意力が分散して、ひとつのことに完全に集中できない「連続的な部分的注意力」の状態になりやすい。現代の私たちは何かに完全に集中することなく、絶えず部分的に気が散っている。


したがって、完全なプレゼンスを示せなくても、自分を責める必要はない。当たり前のことなのだ。プレゼンスは、ほぼすべての人にとって難しいスキルだ。ハーバード大学の心理学者ダニエル・ギルバートは2250人を対象に行った研究によると、普通の人は、1日の半分近くは「心がさまよっている」状態だという。瞑想の達人でさえ、瞑想の最中に気が散るというのだから。


しかし裏を返せば、うらしいことだ。プレゼンスの能力を少し高めるだけでいいということだ。完全なプレゼンスを持続できる人はほとんどいないのだから、ほんの短い時間ずつでも、ときどき完全なプレゼンスを示すことができれば大きな変化を起こせるだろう。


誰かと話しているときに、自分が完全に集中しているか、ほかのことに気が散っていないか、折りに触れて確認しよう(次に何を言うか考えることも、会話に集中していない証拠だ」。先のエクササイズのように自分の呼吸やつま先の感覚に一瞬だけ集中することによって、目の前の瞬間に意識を取り戻し、話をしている相手に集中できるだろう。


私のあるクライアントは、プレゼンスのエクササイズに初めて挑戦した後、次のような経験をした。「気がついたらリラックスして笑顔になっているのです。私が何を言わなくても、周囲の人が突然、笑顔を返してくれるようになりました」


先に紹介した1分間のエクササイズがうまくいかなくても、落ち込む必要はない。プレゼンスのエクササイズをするだけで、あなたのカリスマ性は高まっているのだ。発想の切り替え方を学び、プレゼンスの重要性とプレゼンス不足の代償を理解したあなたは、すでに一歩先を行っている。それだけでも、この本を手に取った価値はあるだろう。


では、このスキルを日常生活でどのように実践できるだろうか。たとえば、オフィスで同僚から意見を求められたとしよう。あなたは次の打ち合わせで数分しか時間がなく、話をしていたら間に合わないかもしれない。


同僚が話をしているあいだも次の約束を気にしていたら、不安になって集中できないだけでなく、心ここにあらずだという印象を与えてしまう。同僚は、あなたは自分の問題をあまり気にかけていないから、真剣に聞かないのだろうと思うかもしれない。


このときプレゼンスを示す3つのテクニック――音や呼吸、つま先に一瞬だけ意識を集中する――のいずれかを実践すれば、目の前のことに集中力を取り戻せるだろう。あなたは本気で集中していることは、あなたの目や表情に表れ、相手はそれに気づく。一瞬でも完全なプレゼンスを示せば、相手は敬意を払ってあなたの言葉に耳を傾けるだろう。完全なプレゼンスはボディランゲージにも表れ、カリスマを高めるしぐさにつながる。


カリスマを発揮できるかどうかは、ひとつひとつのやりとりに向き合う時間の長さではなく、プレゼンスをどのくらい示せるかで決まる。完全なプレゼンスを示すことができれば、あなたは「その他大勢」ではなくなり、相手の記憶に残る。5分間の会話でも完全なプレゼンスを示せば、相手に感動させ、感情的な絆が生まれる。あなたが一緒にいる人々はあなたの完全なプレゼンスを感じ、あなたにとってその瞬間、自分が世界でいちばん大切な存在だと思える。