第2088冊目 1分で大切なことを伝える技術  齋藤 孝 (著)


1分で大切なことを伝える技術 (PHP新書)

1分で大切なことを伝える技術 (PHP新書)

  • 自分の話をジャンル分けせよ


当然のことながら、私たちが話をするシチュエーションは千差万別だ。それぞれのスポーツにそれぞれのルールがあるように、その場に応じて話し方も変えるル必要がある。


たとえば、ランチタイムのおばちゃんどうしのおしゃべりを分析してみると、さして中身はない上に展開もバラバラだ。それでも盛り上がっているのだから、この場はこれでいい。


しかし、こうした場で大切なことを一分で伝える力が育つかといえば、まず無理だろう。同じ「話す」の範疇でも、ルール自体が違うのだ。おしゃべりでは誰がどんな角度で割り込んできても構わないという、無法さを楽しむことがルールになっている。ビジネスの場面ではあり得ないシチュエーションだ。


これは極端な例としても、今から自分が臨むフィールドでどんなスポーツが行われているのかを考えなければ、的外れな話になってしまう可能性がある。これはおおいに注意すべきだろう。


私がそんなことをあらためて感じたのは、過日、古今亭志し生の最後の弟子だった古今亭圓菊さんの噺を聞く機会を得たからだ。圓菊さんは、晩年の志し生を背負って歩いたという方で、今はもう八十歳前後になられている。


その噺に、私は圧倒された。まず雰囲気がいい。江戸情緒に満ちている。柔らかい笑顔で、ゆったりとしていて話の展開を焦らない。ちょっとしたことでもおろしろく思えるようになり、オチの比重は軽くなった。大ベテランなのに、遠慮がちなかわいらしさもある。すっかり感化された私は、圓菊さんCDまで聞き込むようになった。



その影響か、その後の私の講演会は、ふだんより多くの笑いに包まれた。そのとき私は、「自分はいつも焦りすぎていた」と逆に気づかされたのである。


その講演では、圓菊さんの話を参考にして、ゆったりと呼吸を入れ、自分自身の発言にやや疑問符を付けるような心の余裕を持たせることにした。それが受けたのである。


今までの講演では、私は相手を攻めて圧倒していくような話し方をしていた。聴衆の方も対応に困っていたのではないか、と反省したしだである。


だがそもそも、「できるだけ情報を盛り込んでハイテンションで話す」という話し方と落語とでは、ルールがまったく違う。落語の場合、テキストも存在するから。ストーリーを話すこと自体はある程度練習すればできる。では誰でも落語家になれるかというと、けっしてそのようなことはない。その時代の情緒や風情、雰囲気をいったものが伝わらなければ、まったく意味がないのである。逆にいえば、風情させ醸し出せれば、展開の一つや二つが飛んでも問題はないということだ。


落語は、笑いの回数さえ多ければいいというものではない。その話の世界が広がっているかどうかが問題なのだ。落語の芸とは、空気を伝えるということでるある。


これは、ビジネス上のトークとは質が違う。したがって、落語の話し方を雰囲気づくりとして参考にすることはいいが、基本的には別のスポーツと考えるべきだろう。


ついでにいえば、テレビの司会者とコメンテーターも、似ているようだが違う。前者は段取りを進めていく役割であり、後者はコメントを言えばいいだけだ。したがって、事前の打ち合わせの内容も違うのである。

  • 話す力をつけるためには、スポーツ同様、「真似る」ことが重要


その中には、「話し上手になりたい」という人は少なくない。そういう人は、さらにもう一歩踏みこんで、どんなシチュエーションで話せるようになりたいのか、相手にどう思ってもらいたいのか、考えたほうがいい。スポーツと同様、その選択によって、ルールやトレーニング方法は違うはずだ。


たとえば落語家のように話したいのであれば、名人の落語を徹底的に聞けばいい。しかしビジネスのプレゼンがうまくなりたいのであれば、落語を聞いてもあまり意味がない。それは野球の上達のために水泳ばかりするようなものだ。ムダとはいえないが、やや遠すぎる感がある。やはり野球には野球の、水泳には水泳のトレーニング法があるはずだ。


そのもっとも手っ取り早い方法は、モデルを探して真似ることだ。「この人のようになりたい」という対象を見つけ、そのポイントを抜き出して再現し、周囲にいる誰かに聞いてもらう。あるいはその人のトレーニング法を分析し、取り入れる。スポーツでは当たり前の方法だが、こと話す技術について、こういう練習をしている人は少ないだろう。ほとんど練習せずにうまくなる方法を探している傾向がある。


たしかに、人と話すのはあまりにも日常的なことだから、スポーツのように練習する必要だとは考えにくくなっているのかもしれない。そういう考えから脱するためにも、「話し上手」という漠然とした観点で捉えないほうがいい。どの、スポーツ、における話し上手になるのか、まず明確にする必要がある。