第2081冊目 成功する練習の法則―最高の成果を引き出す42のルール  ダグ・レモフ (著), エリカ・ウールウェイ (著), ケイティ・イェッツイ (著)


成功する練習の法則―最高の成果を引き出す42のルール

成功する練習の法則―最高の成果を引き出す42のルール

  • 無意識にできるようになるまで徹底する


私たちの同僚のある教師(ここではサラと呼ぶ)は多くの時間をかけて、生徒に指示を出す練習をした。ときおり生徒が指示にしたがいにくそうにしていたからだ。何人かに授業を見てもらうと、どうやら問題は指示そのものにあり、生徒への要求があまり明確でないせいかもしれないと指摘された。そこで彼女はまず、具体的かつ明確で、結果を観察することができる指示を紙に書き出した。〈やるべきこと〉というテクニックだ。(本書の最後で簡単に説明する)。そうして書き出した指示を教室でやるように声に出して練習した。ひとりでも練習したし、同僚といっしょにやることもあった。声に出したことばを聞くことで、驚くほど客観的に判断できるようになり、それをもとに修正していった。そのスキルを習慣化して、自然に出てくるようにしたかったので、たとえ短時間であっても思いつくかぎりの状況で練習した。


数週間後、サラは自分の授業をまた同僚に見てもらった。授業のあと、同僚はまず彼女に自分ではどう思ったのかと尋ねた。サラは、授業が比較的うまくいったのはよかったと言った。生徒はきちんと話を聞き、実りのある授業ができたので、少なくとも困ることはなかった。それでもサラは、授業の初めのほうでしか〈やるべきこと〉ができなかった、せっかく練習したスキルをあまり使わなかったから、観察しても時間の無駄だったかもしれない、と同僚に謝った。ところが、同僚の教師はまったく別のものを見ていた。生徒の行動をすぐ修正しなければならなかったとき、サラが〈やるべきこと〉を何度も使うのを目にしていたのだ。要するに、サラは練習したことを自分でも気づかないうちに使っていた。


サラは練習することでスキルを習慣にした。授業中ほかのことを考えていても、意識せずに新しい習慣にしたがっていた。この経験は、音楽家やアスリートなど、ふだんから練習を積んでいる人にはなじみがあるだろう。自然に出てくるまでスキルを習得すると、体が勝手に動き、そのあとようやく心が追いつく。立腹した顧客に冷静に対応する練習をした顧客サービス担当者は、険悪な状況でもまったく苛立たず、当たりまえのように落ち着いた答えを返すことができる。考えずに出てくるところがポイントだ。困難な状況で冷静に行動するための最善の方法は、苦情の電話中にあえて落ち着いた雰囲気を作り出すことではない。困難な状況で意識せずに冷静になる練習をくり返すことだ。


サイエンスライターのデイビッド・イーグルマンの著書『意識は傍観者である――脳の知られざる営み』(早川書房)は、私たちが充分把握していないさまざまな脳の働きを説明するだけでなく、脳が機械的に覚えた行動に無意識のうちに頼っているというきわめて重要な事実も指摘している。その本では、新しいことを覚えられなくなった前向性健忘症患者について調査した事例が紹介されている。患者はテレビゲームの操作方法を習うが、短期記憶が損なわれているため、ゲームをしたことを思い出せない。しかし、再度ゲームをやると、健忘症でない人と同じように上達している。つまり知識を用いるときに、意識している必要はないのだ。


むしろ意識は邪魔になることが多い。高速道路でスピードを落とすとき、脳が状況を分析して決定するより早く足がブレーキを踏むのは、生存のためにそうする必要があるからだ。パフォーマンスを生業としている人々も、無意識でそれができるような心の訓練が欠かせない。「プロのアスリートの目標は考えないことだ」とイーグルマンは皮肉な事実の述べている。目標は「効率的な機械的アルゴリズム」を育成することで、それによって「試合中に、適切な作戦行動を意識の干渉なしに自動的にくり出せる」ようになる。野球のボールを打つことを考えてみよう。本格的な速球はホームベースに届くまでにおよそ0.4秒かかる。「意識にとっては、それでは時間が足りない。0.5秒かかるからだ」とイーグルマンは書いている。つまり、ほとんどのバッターはボールの動きを意識していないのだ。成功はバッターが身につけた習慣にもとづくものであり、もっとも必要な瞬間に意識的に達成できるものではない。


意識的な問題解決と自動性の結びつきは、練習で強まる。そのことは車を運転するたびに実感できるだろう。記憶に刻まれた習慣が無意識のうちに多くの動作を決め、そのあいだにきわめて抽象的なことを深く考えることができる。昔はひとつも知らなかった複雑なスキルを使って、複雑なタスクをこなしながら、心は自由にさまよい、分析し、考える。練習して一連のスキルを身につけ、意図的にスキルを高めれば、驚くほど複雑な作業をこなすことができ、それで余裕ができた積極的な認識力はほかの重要な作業にまわせる。


私たちの同僚のニッキ・フレームとマギー・ジョンソンは、すでに述べたとおり、ふたりで毎朝10分間、生徒の予期しない答えに対応する練習をおこなった。数週間ほど練習して、ふたりはなんとかスキルを身につけることができた。その結果のひとつとして、授業中の処理能力が増し、抽象的な知力が必要な部分に集中することができるようになった。


このアイデアをほかの専門性の高い状況や複雑な状況に応用できたら、どれほど強力だろう。たとえば医師が2、3日に一度、数分間、興奮している患者を落ち着いて診察する練習をおこなっとしたら? 医師が平静でいられれば、患者の興奮も抑えられるし、聞く力と診察力も向上する。処理しやすいやりとりに脳が集中する割合を減らすと、複雑な問題も高い確率で解けるようになる。機械的な学習が深い思考と結びついて作用することについては、次のルール〈無意識にできるようになれば、創造性が解き放たれる〉でまた触れる。

  • 意識的に判断するまえにスキルが自動的に出てくるまで、徹底して習得させる。
  • 考えなくても無意識にできるスキルを積み上げ、能動的に考えなくても複雑な作業をこなせるようにする。
  • 基本的なことを自動化すると同時に、より複雑で繊細なスキルも自動化できないか検討する。単純なことだけが習慣になるというのは誤った思い込みだ。