第1984冊目 「権力」を握る人の法則 [ハードカバー] ジェフリー・フェファー (著), 村井 章子 (翻訳)


「権力」を握る人の法則

「権力」を握る人の法則


第一印象を与えるチャンスは一度しかない


世間があなたをどう認識しどう判断するかは世の中をわたっていくうえで重要な要素であり、幅広い研究の対象となってきた。そうした研究でわかったことの一部をここで紹介したい。これらは、評判を形成し影響力や権力を獲得するうえで大きな意味を持つ。


第一に、あなたの第一印象は最初のほんの数秒、いやそれどころか数十分の一秒で決まってしまう。印象というものは、事前情報や過去の実績に加えて、そのときの場の表情、ふるまい、声、外見によって形成される。ある調査によると、人々が初対面の人に会って最初の一一ミリ秒(一〇〇〇分の一一秒)で下す判断は、たっぷり時間をかけて相手を観察した後の判断と相当程度に一致するという。したがって、人物評価というものはごく短時間で下されてしまうわけだ。となれば、第7章で取り上げた力を印象づける振るまいや話術は、第一印象を形成するうえでもきわめて重要になる。


第二に、読者は驚かれるかもしれないが、ほとんど瞬時に決まってしまう第一印象はあまり外れがないのであえる。社会心理学者のナリーニ・エムバディとロバート・ローゼンタールは、臨床心理学・社会心理学にまたがる幅広い分野で、印象の妥当性を調べるメタ分析を行った。その結果、五分にも満たない短い時間のふるまいに対する判断が、その後の人物評価とほぼ一致していることがわかった。しかも三〇秒以下の判断と、五分ほど観察した後の判断とはさほど変わらないという。また、教授の無音声の動画を学生に三〇秒ほど見せて評価させ、その後学期末に講座の評価をさせる実証的研究を行ったところ、両者はみごとに一致した。同じように、学校長が高校の先生の動画を見て第一印象で下した評価と、学校長によるその先生の人事評価とがきわめてよく一致するという結果も出ている。


このように、評判形成の第一歩となる第一印象は一瞬で決まってしまうだけでなく、後々まで維持さえる。研究者によると、第一印象が長続きする現象、言い換えれば、先に提示された情報が優先される現象は、四つのプロセスで説明できるという。どれも、なるほどと思い当たるものばかりである。


第一は、時間の経過とともに注意力が低下することである。多くの人は、最初に受けた印象で判断を下した後は気が緩んでしまい、後から受ける印象に前ほど注意を払わなくなる。たぶんあなたも初対面の人と会うときには、相手の言動に注意を払い、どういう人間かを探ろうとし、相手のタイプを知り、さらに自分と合いそうか、自分に好意的か、はたまた自分の役に立ちそうか見きわめようとするだろう。やがて「だいたいわかった」と考えると、いちいち気にかけなくなる。次に会うときには、相手のことはおおむねわかった気でいるので、こまかいニュアンスなどを聞き流しやすい。


第二は、情報の選択的取捨である。すなわち、第一印象が定まってしまうと、それと一致しない情報を無視しがちになる。とりわけ、「第一印象→相手の評価→結果」が連続的に起きる場合に、そうなりやすい。たとえば面接の際に相手に印象に基づいて採用を決め、その後になってから「こいつを採用したいのは失敗だった」と認めるには、誰しも気が進まない。そこで、第一印象と一致しない情報は無視して、一致する情報のみを偏重する傾向が生まれる。


第三は、題意陳勝の実現行動である。すなわち人間は、自分が抱いた第一印象が正しくなるような行動を自らとるのである。採用面接を対象にしたある調査によると、応募者に対する面接官の第一印象は、入社試験の成績や履歴書に基づいて、面接が始まる前にすでに形成されている。いざ面接が始まると、応募者に好意的な印象を抱いている面接官は相手に気遣いを示し、自社のよいところを強調し、職場環境について積極的に情報提供を行い、応募者にあまり意地悪な質問を発しない。こうして、自分が抱いたイメージ通りになるよう審査を行うことが判明した。また別の調査では、相手を優秀だと思っている人は、相手の得意分野に関する質問を発したり、能力を発揮する機会を与えたるする傾向があることがわかった。このように、人はすでに抱いている印象や伝え聞いている評判を強める行動をとりやすい。その結果、当初の印象や評判は結果的に正しくなる。


第四は、偏向的な同化作用である。すなわち人間は、後から受け取る情報を第一印象と一致するようにねじ曲げて解釈する傾向がある。あると劇作家兼コメディアンのチャーリー・バロンは、カリフォルニア医師会からスピーチをしてほしいと依頼された。医師会が期待していたのは、気の利いたコントといった体のものである。ところがバロンは、ホスト側と示し合わせて自分を「医学博士アルビン・アブガー」と紹介させる。そして専門家ばかりの聴衆を相手にでっちあげの統計データを使って、遺伝子に関する珍説を披露したものである。バロンがジョークを飛ばさなかったら、聴衆は彼のことをあやうく遺伝子の専門家だと信じ込むところだった。聴衆にしても途中で「どうもおかしい」とは思ったものの、「いやいや、自分は遺伝子の専門家ではないから」とか「最新の研究ではそういうデータが出ているのだろう」と思い直していたという。もしバロンがコメディアンと紹介されていたら、聴衆の反応はまったくちがったものになっていただろう。