第1360冊目 総理への宿命 小泉進次郎 (一般書) [単行本] 大下英治 (著)



進次郎は、勉強熱心だ。本会議でも資料などをきっちり読み込み、時間があれば他の論文などにも目を通している。また、役所からのレクチャーの数も相当数こなしている。国会質問に立つときなどは、綿密な調査をし、準備を万全に整える。そのうえ、政策や制度を詰めていくときの着眼点の鋭さを持ち得ている。


また、質問に対する受け答え方には天性の才能を感じる。いくら質問を予想して答えを準備していたとしても、いくら父親。純一郎が指導したとしても、あそこまでの返答ができる人間はそうそうはいない。


だから、斎藤は思う。


あれは、天性のセンスというものなんだろうな


政治家としてのセンスがいいうえに、爽やかさも兼ね備えている。


斎藤の知り合いが国会見学にやってきたときにも、気持ちよく写真撮影に応じてくれるのだ。


よく言われる政治家独特の嫌味な一面が一切ないところも、進次郎の良さである。








進次郎は、7月3日、東京・中野区のJR中野駅前で訴えた。


「与党に戻る最短の道は、野党の道を究めることだ。政権交代が起きたのは、民主党が強い野党だったからだ。わたしたちも強い野党にならなければならない」


進次郎は、この選挙の新人候補の応援で全国をまわる電車の中で、終始、アイポッドで父純一郎の演説を聴いていた。進次郎にとって、初めての遊説だったので、父親の演説のやり方を学んでいたのであった。









進次郎は、十月、自民党学生部長、新聞出版局次長に併せて就任。


十月二十七日、の午後六時、自民党本部五階の小部屋。進次郎は、二十人ほどの学生を前に言った。


「わたしは二十九歳。だから双方向でやろう。司会者は四十分講演、二十分質疑応答と言ったが、無視します。自分のしゃべりをいかに圧縮するか、この仕分けが今日の課題だね」


結果、進次郎の講演は、二十五分。その後、学生から例えば「総理大臣の資質で一番大事なものは何ですか」と質問が出た。


「じゃあ、父の話。愚痴を言わない、疲れたと言わない。自制心、自立心。あと、日本語に厳しい。たとえば、『このコーヒーすごいおいしい』と言ったら怒られた。『すごくおいしい、だろう。すごいというのは、コーヒーの味がすごい、豆がすごい、それがすごいだ。おいしいとかの前に付くのはすごくになるんだ』、ひとつの言葉の間違いで国家を危うくするのが政治家。子供のころから、父の辞書を引いている姿を見てますし、自分もそれがうつってしまいました。当たり前の言葉の意味を広辞苑で引く癖がついたね」


民主党仙谷由人官房長官が、十月十二日の衆院予算委員会で「柳腰で中国に対応していく」と答弁したことに対し、十月十四日の参院予算院会の質疑で、自民党山本一太参院政審会長が「女性のしなやかな腰を表現する言葉で、外交政策を表現するには不適切だ」と撤回を要求。が、仙谷官房長官は、強気の答弁を崩さなかった。


「しなやかに、したたかに戦略を組んでいくのが、日本外交の姿だと思っている。撤回しない」


進次郎は、これを問題にした。


「仙谷官房長官の『柳腰』発言。どの政治家でもおかしかねないミス。いかのそのミスを減らすか、政治家の武器は言葉だ」


尖閣諸島沖の中国戦衝突事件をめぐる政府対応の評価を聞かれると、こう答えた。


「政治判断がなかったなんて、ありえないね。国民は何を政府から聞きたいか。わたしたちが決めた、批判は甘んじて受ける、責任はとる、これだけ。だって政治家の武器は、言葉に加え、責任をとることだから」









「委員会の質問は、どういうふうにつくっているのですか」


進次郎の答えは、端的であった。


「現地現場に入って問題点を見つけ出して、それをぶつけてみるんです」









進次郎は、日本論語研究会でも、政治家にとって、いかに言葉が大切かについて語っている。


普天間の問題で、わたしたちは北沢防衛大臣に質問しましたけど、わたしが聞きたかったのは鳩山総理の『数日』という言葉についてです。(平成二十二年)三月末には政府案をまとめると言っていて、三月の土壇場になって鳩山総理が言った言葉が、『一日や二日、数日ずれることは大きな話ではない』と。


北沢防衛大臣にわたしは、『数日っていうのは何日ぐらいのことだと思いますか』と聞いたら、北沢防衛大臣は『まあ長い人生の感覚からすると三〜四日でしょうね』と。


『もう、四月九日ですよ』と言ったんですけど。


この鳩山総理の一言、『一日や二日、数日ずれることは大きな話ではない』と。三月の末にまとめるということは、法律に書いているわけじゃないです。わたしは典型的だなあと思ったんです。


日本人のなかで、法律に書いていないからそれでも許されるという感覚で生きてきたら、人から尊敬を集めることはできません。法律とかそういうものではなく、言ったことは必ず守る。言ったことは行動に移す。その言葉の重みというものが、人から信頼される要素。そして、政治家というのは言葉が武器ですから。


今日いらしている多くのみなさんは、手に職を持っています。また研究者の方、教授の方とかも、手に職を持っている。自分はこれで生きていくんだっていうのを持っているんです。


でも、政治家は違う。ないんです。手に職が。では、何で生きているかといったら、言葉しかないんです。あの政治家がこう言っていたというのがニュースになり、あの政治家がこう言っていたといって人は耳を傾け、街頭であの人がマイクを握っていたといって人は足をとめ、その人の思いを聞く。それはすべて政治家にとっての武器。政治家にとって手に職というのは、言葉なんです。


それを『法律に書いていないことだから大事な話じゃない』と言ったら、じゃあ、その政治家を何で判断したらいいですか。何で信じたらいいんですか。『トラスト・ミー』と言ったけど、そこにトラストはありますか。わたしはそう思わざるを得ないんです」






進次郎は、父親の小泉純一郎元首相のようにワンフレーズ、もしくは短い言葉でビシッと台詞を決め、人々の言葉をとらえるのが実にうまかった。


林は、進次郎の話を聞いて改めて思った。


やはり、これは生まれ持った才能なのだな


進次郎の話し方はすでに訓練して上達するという域を超えていた。話し上手なだけでなく、聞き上手である。進次郎がきちんと被災者の話を聞いていることは、傍からみてもよく分かる。


進次郎は、引き上げる際、林と明智市長に頭を下げた。


「本日はお忙しいところ、ご案内ありがとうございました」


林は感心した。


見た目も爽やかだし、話し上手、聞き上手。しかも誰に対しても礼儀正しい。まったく、たいしたものだ









自民党河村建夫選挙対策委員長は、講演で時に小泉進次郎の話を出した。


自民党をぶっ壊すと言ったのが小泉純一郎。本当に壊れた自民党を建て直しをやっているのが、進次郎だ」


進次郎は礼儀正しく、あくまで謙虚だった。やたらとテレビに出たがる政治家が多い中、進次郎はテレビに出演することなく、出しゃばるような面はまったくなかった。


平成二十三年十月十四日、進次郎が自民党青年局長に選ばれた。


青年局長は、四十五歳以下の党員のトップ的な存在で、進次郎は、四十四代目。竹下登海部俊樹宇野宗佑安倍晋三麻生太郎とのちに総理になった人が経験している。ただし、当選一回での就任は五人だけである。


その頃からマスコミ各社は「進次郎番」をつけるようになった。一期生の議員に番記者がつくなど過去に一度も例がない。進次郎人気がいかに高いかを物語っている。もともとかららは「部会担当」「幹事長担当」など本業を持っている。その副業として進次郎も担当するおうになったのである。


記者たちはみんな、進次郎番になったことを楽しんでいる様子だった。進次郎の人柄や絶妙なトークに触れるたびに親近感が湧いてくるようである。進次郎は人な名前や顔を覚えるのが早い。進次郎番はもちろん、取材でしばしば自分の前に現れるマスコミ関係者の社名と名前もしっかり覚えていた。人間は、自分の顔と名前を覚えてくれる人に親しみを覚えるものである。最初は進次郎嫌いだったマスコミ関係者も、だんだん進次郎のペースに巻きこまれていく。取材の場は、そんな和やかな雰囲気になっていった。


進次郎は、マスコミ批判をしなかった。発言するとしても、「マスコミのみなさんは、どうせ騒ぐんでしょうけれど」という程度で止めている。


不本意なことを書かれても「いやー、何か書いていましたね」「厳しいですね。あれはちょっとぼくの思いとは違うと思うんですよね」「あれは事実誤認でおかしいんじゃないですか?」などと、嫌みにならない程度にサラリと言う。間違っても日本維新の会橋下徹共同代表のように、けんか腰になるようなことはなかった。


進次郎は、ぶら下がりでも、一社の記者だけの質問に対しては応じない。独占インタビューという形となり、特定の社を優遇しているように見られるからだ。三社くらいがそろうと、初めて口を開く。そこまで用意周到なのだ。