第1341冊目 ベスト・パートナーになるために―男と女が知っておくべき「分かち愛」のルール 男は火星から、女は金星からやってきた (知的生きかた文庫) [ペーパーバック] ジョン グレイ (著), John Gray (原著), 大島 渚 (翻訳)



男はみんなこの言い方にカチンとくる


私が自分のセミナーで、この言葉の使い方の説明をする時、どの女性も「取るに足らないようなことに何を大げさなことを言うのかしら」といぶかる傾向がある。彼女たちにとって「〜ができるかしら?」という言い方と「〜してほしいの」という言い方の間にはたいした差はないのだ。せいぜい、前者のほうが後者よりも丁寧な言い方だと思っている程度である。


だが、大部分の男性にとって、両者の間には天と地ほどの大きな違いがある。なぜならば、その意味の違いが極めて重要だからだ。そので次に、私のセミナーに参加した何人かの男性による証言を紹介して、彼らに当たる影響力の大きさを示していくことにする。


1「ぼくは、妻にああんたに裏庭の掃除ができるかしら?と聞かれれば、その言葉どおりに解釈してこう答えます。もちろん、できるさ。簡単なことじゃないか。でも、けっして、いいよ、僕がやってあげるよ、とは言わないでしょう。それに、たとえ、もちろんできるさ、と答えても、それで掃除をすることを約束したとも思いません。すぐに忘れてしまうでしょう。でも、もし彼女から裏庭の掃除をしてもらえる?とストレートに頼まれれば、やるかやらないかの決断をつけはじめます。そして、その気になれば、やはり同じようにもちろん、できるさ、と答えるでしょう。でも、この場合の、もちろん、できるさ、は掃除をすることを約束したということなのです。私は、裏庭を掃除しなければならないということを肝に銘じ、約束を果たすまでけっして忘れることはないでしょう」


2「妻からクリストファーのおむつを換えられる?という聞き方をされれば、私の心の中で密かにもちろん、換えられるさ、と答えます。赤ん坊のおむつの交換なんか簡単な作業です。いくら不器用なぼくにでも、その気になれば苦もないことです。でも、めんどうくさくなってあまりやる気がしない時には、おそらく口実を考え、うまく逃げ出してしまうでしょう。それに対して、クリストファーのおむつをを換えてちょうだい、と直接的に頼まれれば逃げようがありません。ぼくは直ちに、いいよ、と答え、実行するでしょう」


3「ぼくは、〜ができるかしら?というような聞き方をされると、憤りを感じざるを得ません。そんな聞き方をされれば、答えの選びようがなくなり、できるさ、としか答えられなくなってしまうじゃないですか。もし、私が、できない、と答えれば彼女は機嫌を損ねてしまうに違いありません。これでは要求とか頼み事ではなく、まるで命令や脅迫ですよ」


4「つい先週、妻が私に、きょう、庭に花を植えられるかしら?、と聞いてきたのですが、私は、ためらうことなく、できるよ、と答えました。その後、彼女は外出したのですが、帰ってくるなりすぐに、花を植えてくれた?、と聞いてきました。でも、私はすっかり忘れていたのです。いや、まだだ、と答えると、今度は、じゃ、明日はできる?、と聞きました。もちろん、私はためらいもなく、できるよ、と答えました。実を言うと、この言葉のやりとりが先週からずっと続いているのです。それでもまだ庭には花は植わっていません。もし、彼女が、明日、庭に花を植えてちょうだい、と直接的な言い方をしてきていたら、おそらく私はいい加減に聞かずに、いいよ、と答えていたでしょう。そして、忘れることもなく、必ず約束を守っていたと思います」


5「彼女から、あなたにできるかしら?、と聞かれれば、おそらくぼくは、できるよ、と答えるでしょう。でも、心の中では彼女に対して怒りを感じていると思います。もし、ぼくが、できないよ、と言ったなら、彼女はかんかんになって怒り出すに決まっています。そう思うと、なんだか脅迫されているみたいで嫌になってしまうんです。でも、やってもらえないかしら、と聞かれたら、ぼくには、YES、とNOの選択権を与えられた感じがする。ぼくが、自分の意志で選ぶことになるんです。そうすると、気持ちよく心の底から、やってあげるよ、と言えるのです」


あなたが、この二つの言い回しの違いがはらんでいる重要性を自分なりに理解するためには、次のようなロマンチックな場面と関連づけて考える方法もある。男性が最愛の恋人に結婚を申し込んでいる場面を想像してもらいたい。


彼の胸は、頭上に光り輝いている満月のように彼女への恋幕の情で満ちあふれている。その思いははちきれんばかりに膨れあがり、ついには彼は決定的なひと言を口にする決心をする。突然、彼女の前にひざまずき、両腕を差しのべて彼女の両手を握りしめる。そして、彼女の目をじっと見つめながら、やさしくこうささやくのだ。


「ぼくと結婚してもらえるかな?」


残念なことに、おそらくそのひと言でそのロマンスは終わってしまう。「〜してもらえるかな?」という言い回しは、彼が弱々しくて頼りにならない男だというイメージをつくり出し、男性としての価値を一時に下げてしまうのだ。その決定的なひと言を口にした時、彼は不安と自信のなさをさらけ出す結果となる。これでは相手の心を強く動かすことはできないのである。


もし、代わりに力強く簡潔に「結婚しよう!」と言っていたら、彼の情熱や頼もしさが充分にアピールできていたはずだ。これが、プロポーズを成功させる極意なのである。永遠に自分の強い愛情を包み込み、安心して人生を送らせてくれる頼りがいのある男性でなければ、女性が人生の伴侶として選ぶわけがないであろう。


同様に、男性もまた、女性からこの方式で彼女が自分の望んでいることを要求されたいと思っている。「〜しようよ」とか「〜してほしいの」という直接的な言い回しを試みよう。「できるしら?」という言い方は、あまりにも遠回しで間接的すぎる。信頼感に欠け、ごまかしと弱々しさばかりが感じられるだけである。


あなたが「このゴミを出せるかしら?」と言う時、彼が察知するメッセージは「もし、あなたにそれができるのなら、あなたはやならければならない。私があなたにそう命じるわ!」というものである。彼からすれば、その程度のことをするのは明らかに造作もないことだ。だが、彼女のおよそ人に頼み事をする時のマナーではないような物言いに、へそを曲げてしまうのである。彼女は、ただ自分を意のままに操り、彼女のために何をさせるのも当然だと考えている。そうだとすれば、たとえ簡単にできるようなことでも、絶対にしてなるものかと思って当然なのである。