第1264冊目 ドラッカー流 最強の勉強法(祥伝社新書207) [新書] 中野 明 (著)


ドラッカー流 最強の勉強法(祥伝社新書207)

ドラッカー流 最強の勉強法(祥伝社新書207)


他人に教えることで多くを学べる


他人に教えるということも立派なアウトプットの形態だ。また、教えるとうアウトプットがインプットにもなる点が、教えるということの大きな特徴である。


知識労働者やサービス労働者は、自らが教えるときに、最もよく学ぶ。長い間教壇に立ってきたのは、教えることで自ら多くのことを学べたからだ。学ぶためには教えなければならない。教える側が教えられる側以上に多く学べるのだから。(『ドラッカー20世紀を生きて』)


いずれもドラッカーが、教えるということについて述べた言葉である。ドラッカーアメリカ移住後、生涯大学の教壇に立ってきた。ドラッカーにとって、教壇に立つこと自体が勉強であったのだろう。


そもそも、人に何かを教えようと思うと、それについて深く理解していなければならない。また、本格的に教えようと思うと資料が必要になる。実際に資料を作ってみると、頭ではわかっていたつもりの個所が、実は理解不足だったことが次々と判明する。あるいは、完璧だと思っていた論理展開が、節穴だらけという事実にも直面するはずだ。これは実際にやってみればよくわかる。だから繰り返し述べるように、文字によるアウトプットは、それ自体が勉強なのである。


教えることが学ぶことになる理由はまだある。たまたま私は非常勤講師として、関西学院大学同志社大学で教壇に立つ機会を得てきた。講義では万端の準備をして教室に入る。そしてパワーポイントのプレゼン資料に従って話をする。資料作成時にストーリーは作ってあるから、それをなぞればよい。


ところが、話を進めていると、説明がしどろもどろになる個所がある。これは自分自身の理解が足りない個所に他ならない。


あるいは、話している最中に、資料で述べたものよりも結論をもっと強固に支持する材料や、より適切な論理展開の筋道を発見することがしばしばある。そして話をしながら、「ああ、そういうことだったのか」と、独り納得したりする。


教えることで学ぶことは他にもある。学生からのレポートである。このレポートには、学生が講義の中で注目した点、意見、疑問などが書かれている。この中には
「そういう考え方もあるのか」というものが、必ずいくつかはある。つまり、学生からの多様な物の見方を教わるわけである。


ドラッカーが言う「自らが教えるときに、最もよく学ぶ」というのは、まさにこれらの現象を指しているのだと思う。


教える場は学校だけとは限らない。職場での研修会で講師役を引き受けるのもそのひとつだ。外部からの依頼で、講演する機会を得ることもあるだろう。これも教える場だ。


また、現在、早朝に雄志が集って勉強会を開く「朝活」が静かなブームだという。こうした発表の機会を自ら創り出し、勉強テーマについて発表する(教える)のも意味があるはずだ。聴き手の質問や意見をきっと参考になるに違いない。


誰かに向かって行なう発表というものは、本人に強いプレッシャーがかかる。しかし、このプレッシャーは勉強を進める上での強い動機づけになる。自らこうしたプレッシャーを課す機会を創り出したい。