第1167冊目  学び続ける力 (講談社現代新書)池上彰 (著)


学び続ける力 (講談社現代新書)

学び続ける力 (講談社現代新書)


ラジオアナウンサーの描写力


最近、ある文学者の面白いエッセイを読みました。


最近の若い人が書いた小説を読んでいると、プロットばかりで描写がない。以前の小説なら、たとえばひとりの女性をどう表現するかというときに、「美人だった」とは書かずに、髪の毛がどうだとか、目やうなじがどうだとか、延々と描写を重ねることによって、読み手は何となくその人のイメージを頭に浮かべたものだ。けれども、いまの小説の多くは、いちいち描写するということをしない。それよりもプロットとして面白いかどうかが問題なので、描写で物語をつくっていこうとする力が弱くなっている……というような内容でした。


描写ということでは、二〇一二年夏のロンドンオリンピック中継で思ったことがあります。テレビだと「ごらんのように」の一言で済むことを、画像のないラジオで説明するのは大変だということです。


ラジオでアナウンサーが男子の体操を中継するとします。まずは会場の説明から入ります。アナウンサー席の向かって右側がこうなっており、左側がこうで、マットはここになる、いまどの選手が、どの位置から演技を始めようとしているか、そんな描写から始めるのです。そうすることで聴き手の頭の中に会場のイメージを描いてもらうのです。


ラジオのアナウンサーは、常に聴いている人の頭の中に絵を描いてもらおうと思って話しているのですね。聴く側も、そのような描写を聴き続けていると、聴き取る力がついてきます。


もちろん、アナウンサーによってそれぞれスタイルは違うでしょう。たとえば会場の体育館がどんなところかという説明から入る人もいるでしょうし、観客が何割の入りか、パッと見てアジア系と西洋系はどのくらいの比率か、どこの国の旗を持った人が多いかなどということを意識的に多めに話す人もいるでしょう。あるいは、気温が何度くらいなのかとか、匂いや空気感のようなものを伝えることで臨場感を出そうとする人もいます。


一方で、テレビのアナウンサーは、見えているものを説明する必要がないぶん、それ以外の情報を話さなければいけません。


だから、この選手は過去にこのような挫折を経験したとか、お母さんが会場に来ているといったプライベートな話を一生懸命にせざるを得なくなりました。結果的に、感情的な話にはなるのですが、その人が選手としてどれだけすごいかということは、意外に伝えられなかったりします。あるいは、画面を見ている人にとって、「うるさい話」ということになったりします。


ラジオのアナウンサーは、聴いている人の頭の中に絵を描いてもらわなければいけない。この描写力は大変なものですし、すぐれた観察力があってこそのものです。


たとえば柔道なら、「日本選手は前回と違って青い柔道着を着ています」というところから始めて、相手国のユニフォームがどんなものかも、説明しなければなりません。選手の背格好や相手との体格差についても同じです。