第1134冊目  誰からも「気がきく」と言われる45の習慣 [単行本(ソフトカバー)]能町光香 (著)


誰からも「気がきく」と言われる45の習慣

誰からも「気がきく」と言われる45の習慣


尊敬する


相手の立場や考えを思いやること。前述したおおり、これは気づかいの前提です。


しかし、これを「親切にすればいいんだ」「優しくすればいいのね」と解釈するのはちょっと違います。


もちろん人として生きる上では、人に対する親切心も優しさも必要です。


でも、それがイコール「気づかい」とはならないような気がするのです。とても似てはいるのですが、ちょっと違う。


「優しさはエゴだ」という言葉があります。


つまり、優しさが自分本位の方向で働いてしたうことが多いのです。たとえば、相手に喜んでもらおうとしていることも、心のどこかで見返りを求めていたり、「与えてあげている」という意識があったり……。


優しくする、親切にする。それ自体、まったく悪いことではありません。


でも、そういうスタンスで人に気をつかっていると、「私がこれだけがんばっているのに!」「俺がこれだけ気をつかっているんだからもっと評価があがってもいいだろう!」というような不平不満。これでは相手も自分も気疲れしてしまいます。


さらに、「自分は正しいことをしているのに!」とエゴの部分が強くなってくると、自分のやり方と同じようにしない人を認めることができなくなる……そうして自分の価値観を人に強要してしまうと、信頼どころか批判を集めてしまうのです。


また、優しい人や親切な人は何でも遠慮してしまいがちです。「まずいことを言って怒らせたら……?」「でしゃばったらダメかな……?」相手の気持ちを考えるあまり、何でもできなくなったり、言えなくなったりしてしまう。


そのために「自己主張のない人」とか、「ハッキリしない人」と思われる……。若手秘書の話を聞いていると、そんな悩みがあるようです。


その優しさが理解されないと、「気がきかない人だなぁ!」と思われることだってあるでしょう。本人としては、気をきかせた結果が遠慮なのに……これこそ本末転倒です。


やはり、本当の気づかいというのはエゴの優しさ、遠慮する優しさとは別のところにある気がします。


大事なのはリスペクトです。


リスペクトするとは、その人自身の人となりや、していること、またその人の時間や空間など、あらゆることに対して配慮するということです。


結局、このリスペクトがあるかないかで、「相手ありき」の態度がとれるかどうかも決まると思います。


人へのリスペクトを忘れてしまうと、どうしても自分の方向に向いた気のつかい方、「信頼されたいから○○をする」「好かれたい、感謝されたいから××をする」といったことになりがちです。


だから私の場合、「相手が心地よくいられるにはどうすればいいのか?」ということを何よりも先において考え、余計なことは言わないようにしています。


気づかいも、度が過ぎればただのお節介。また、控えめすぎても「気のきかない人」。このバランスを上手にとるのが気づかいの妙というのか、技術なのかもしれません。


押しつけがましくなく、かつ自信をもってできる気づかい。これを目差し、まずは「気づかい」のバランスがうまくとれているか振り返ってみてはどうでしょうか。


相手へのリスペクトを心がけながら接してみてください。