第1189冊目  プロ弁護士の思考術 (PHP新書) [新書]矢部 正秋 (著)


プロ弁護士の思考術 (PHP新書)

プロ弁護士の思考術 (PHP新書)


自分には何もできないときどうするか


直視を突きつめれば、ついには中期ストア波の哲人エピクテトスのように、人生の秘密を呵責なく剥ぎとってしまうようになる。


エピクテトスは足の不自由な奴隷であった。この時代の奴隷は、ほとんど人間扱いはされなかず、家畜並みの生活であった。彼の人生は過酷であったが、逆境の中から、かえって彼は恐るべき人生の法則を発見したのであった。


彼の教えの要締は「自分の自由になるものと自由にならないものを区別せよ」ということにある。われわれの意志や欲望はわれわれの支配内になるが、身体、財産、名声などは必ずしも自由に支配できない。自由にならないことは受け入れるほかないのである。彼の思考は弟子のアリアノスが筆録した『要録』や『語録』に結晶し、西洋思想に多大な影響を与えた。


エピクテトスは、おおよそ以下のように語ったと伝えられている。


召使いがコップを割ったとき、怒ってはならない。コップはその本性上、いつかは壊れるものである。そうならば怒るのは無意味である。同様のことは、妻子が死んだときにもあてはまる。妻子が永遠に生きることを願うのは愚か者である。
他人の妻子が死んだとき、君は「それは人間の運命だ」と言う。だが、自分の妻子が死んだときには君は泣け叫び、自分の不運を呪うのだ。だが、よくよく知るがよい。失った妻子を求めるのは冬に無花果を求めるのと同様である。


さらに、「生死の境目にあっても、自分をあたかも他人のように見つめよ」とエピクテトスは言う。航海の途中で嵐がやってきたとする。船が沈んでいく。この先どう対処したらよいだろうか。


航海する場合、乗客である私のできることは何か。船長、船員、船の出る日や時間を選ぶことである。だが、航海の途中で嵐がやって来たとする。そうすると、私は今さら何を心配すべきだろうか。私のすべき選択はすべてなしたのであり、嵐にどう対処するかは船長の問題である。私にできることは何もない。


しかし船が沈んでいく。その場合、何をすることができるか。私は自分のできることだけをする。つまり、私は恐れず、わめかず、神を責めず、生けるものはすべて死ぬという万物の法則を知りながら溺れて死ぬだけである。


船が沈むとき、多くの人はただあわてふためくが、エピクテトスは違う。平時にあっても非常時にあっても、彼は、「自分の支配できることは何か。自分がとり得る手段は何か」と考える。もし手段があれば、それを実行する。しかし、何もできないなら、あわてふためいて溺れるよりは、平然と死ぬほうが好ましい。


日本の湿潤な風土に育ったわれわれには、この徹底してドライな理性信仰は肌に合わないかもしれない。人間には老化、病、死、裏切り、左遷、離反、その他さまざまな苦悩がものである。その苦悩は、支配できないことを支配できると誤認するところから生まれる。エピクテトスは、ストア哲学を最も純粋な形で適用した。