第1155冊目  継続は、だれも裏切らない [単行本(ソフトカバー)]内藤 誼人 (著)

継続は、だれも裏切らない

継続は、だれも裏切らない


練習量で人後に落ちるな


いくら才能に差があっても、努力でその差を埋めることは可能である。どれほど凡人であっても、努力を忘れなければ、いつかは天才を凌駕できる。世の中の仕組みというのは、ウサギとカメのたとえを出すまでもなく、一歩ずつでも、歩みを止めない人間が最後に勝つようになっているのである。


神さまは、とても公平である。


頑張っている人のことは、決して放っておかない。


だから自分の非力や無能さを嘆くのではなく、ただ努力を欠かさなければいいのだ。


コロラド大学の認知科学者K・エリクソン博士は、ウエスト・ベルリン音楽アカデミーの教授に頼んで、将来有望なバイオリニストの名前を挙げてもらい、彼らを調査したことがある。


その結果、有望なバイオリニストが一番大切にしているのは「自己練習」であることがわかった。普通の大学生が一日に平均して一・三時間しか個人的に練習していないのに対して、有望とされ、目をかけられている学生のほうが二倍も三倍も努力家だったのである。


不思議のもので、教授から有望とされ、目をかけられている学生のほうが二倍も三倍も努力家だったのである。


どんな分野のおいても、成功する人ほど?才能?などという保証にもならないものには頼らない。頼るべきは己の努力のみ。それが徹底されている。


「私は、映画の評論家になりたいんですよ」などと言いながら、「それじゃ、どれくらい映画を観ているの?」と尋ねてみると、あまり観ていない人がいるとしよう。


「私は、将来、ダンサーとして活躍したいんです」と熱く夢を語るのはいいが、「それじゃ、毎日、どれくらい練習しているの?」と尋ねてみると、一時間も練習をしていない人がいるとしよう。


彼らは、その夢がかなうのだろうか。


もちろん、そんなことはない。


彼らが話しているのは、単なる?たわごと?である。


世の中というのは、努力もしないで夢がかなってしまうほど、甘いものではないのだ。


私は、作家の北方健三先生のファンであるが、北方先生は、まだ駆け出しの頃に、出版のあてもないまま、押し入れがいっぱいになるほど原稿を書きためたそうである。何百枚もの原稿用紙を、どういう気持ちで埋めていったのであろう。まったくその努力には頭が下がる思いがする。


実のところ、天才と呼ばれる人たちも、決して才能だけでやっているのでない。彼らは、ホイホイと何でも片づけてしまうようなイメージがあるが、本当はもっと泥くさい努力をしつづけているのである。


木原武一さんの『天才の勉強術』という本を読むと、ニュートンのような天才でさえ、余人にはうかがい知れないほどの努力をしていたことに気づかされる。「天才ほど努力家だ」とさえ言えるくらいである。


まず、努力の量で人に負けない人間になろう。


そうすれば、必ず、望んだ未来が手に入るはずだ。