第997冊目  ルンルンを買っておうちに帰ろう (角川文庫 (6272)) [文庫]林 真理子 (著)

ルンルンを買っておうちに帰ろう (角川文庫 (6272))

ルンルンを買っておうちに帰ろう (角川文庫 (6272))

四十通の不採用通知コレクション


意外とヒトに知られていない趣味であるが、私は「ミス・コンテスト」を見るのが大好きである。

ただ漠然とテレビを見るのではなく、自分なりに審査して○印をつけていく。このあいだの「ミス・インターナショナル」はズバリ優勝者をあてからたいしたものである。

私が出場者になりたかった、などと大それたことは考えないが、親せきにミスなんとかがひとりぐらいいたらいいな、と考えてしまう。

高校の時の友人に、「ミス・なんとか」山梨県代表の、イトコという子がいたけれど、それだけで彼女には神秘的なペールが漂ってたね。美人の血統というのは、なんとなく迷信っぽくていい。

つい最近まで、私は「ミス・コンテスト」に出る女たちに対し、

「自信過剰」「目立ちたがり屋」「羞恥心の欠如」

など、嫉妬もありまってずい分ひどいイメージをもっていたものである。ところが最近、そうしたものでもないということがわかってきた。彼女たちは、ランクづけされるのが大好きなのだ。自分がどのへんの位置にいるかが知りたくてたまらないのだ。

親せきのオバさんか誰かに、

「花子ちゃんは本当に器用よしだよ、こんなにきれいな娘、女優さんにもいやしないよ」

「ウッソォー、ヤダ−、おばちゃんたらぁ」

「そら、いまテレビでミスなんとかってのを募集してるじゃないか。悪いことがいわないからちょっと出てごらんよ」

といわれたりしたんだろう。

こういう女の子が、地方の一次審査で落ちたりしたらさぞかしショックだろうな。

もう六年の前のことになるが、私も会社という審査官から、

「下の下。一次審査にくるのもおよばす」

という烙印をベターッとおされてことがある。

うける会社、うける会社すべて落ちてしまったのである。

それまで私は二十二年間、ごく平凡に清らかに生きてきた人間だった。「就職→結婚→出産」という平凡な人生をなんの疑いもなく信じ、進んできたつもりである。

うちの親や親せきの者たちも、

「顔はナンだけど、気だてはよい子」

とみんなほめてくれていた。

まさか会社のおじさんたちから、そんなに嫌われるわが身とは思ってもみなかった。

いったい私のどこがいけなかったのだろうか。

スーツもちゃんと着ていったし、終わったあとのおじぎだってちゃんとしたし、これといって大きなミスをおかしたつもりはない。

なのに私を「女事務員」として採用しようとしてくれた会社はひとつもなかったのである。

私はなにも、社長秘書にしろとか、宣伝部か広報課に入れろとか無理なことをいったおぼえはない。やったことはないけれどソロバンをはじき、帳簿をつけ、みんなにヤカンでお茶をついでまわろうと、けなげに考えていた。

一回婚前就職をしかけて失敗した私は、出戻りという負い目はあるし、生活していけるだけのお金をもらえるならば、売春意外はどんなことでもしようと心にきめていたのよね。

ところが、私のこんな誠意は全く通じなかったのだ。誰も私がこんなにいいコだとは見ぬいてくれなかったのである。

あおの頃の私の日課は、毎日早起きして「朝日新聞」の求人欄を読むことだった。その中からめぼしいものをピックアップして、午前中に電話を入れる。そして午後からはかけもちで面接に行くという毎日だった。履歴書なんて何通書いたかわからない。なんせ毎日二通、三通と書くので、その消費する量もすごいのだ。ついには近所の文房具屋で買うのが恥ずかしくなり、わざわざ遠くの店まで買いに行ったりしたものだ。

ところがその履歴書も四日ぐらいたつとキチンと帰ってくるのだから、本当に情けなくなってしまう。そのうち日付を書き直してフルに、半永久的に使用することを考えついた。こういう根性だから、どこもかしこも落ちたのだろうか。

しかもあの時期ほど、私が「松・竹・梅」と分けて、梅の部分に属する人間だと思い知らされた時期はなかった。梅の花はみなを喜ばせるが、梅の人間というのは、絶対にひとから好感をもってもらえないのだということも知った。

ある会社に例によって面接に行った時だ。女の子たちがズラーッと並んで順番を待っている。

私はひそかに時間をはかっていた。いままでの最高記録保持者が二十二分である。面接というのは長いほどいいという。私もなんとか十五分は維持したい。よし、体力のつづく限りがんばろう。

名前をよばれて私は立ち上がった。事務机の前に初老の男がひとり座っている。

「あなたが林さんね」

「はい」(返事は短く、しかも明瞭に)

「わかりました。じゃーね、返事はのちほど送らせてもらいますから」

私は狼狽した。十五分どころではない。この間わずか三十秒である。この男の顔から、彼が私に一目ボレして、

「わが社にぜひほしいのはこの子なんだ!」

と確信したうえでの短さではないようだから、やはり私は落ちるのであろう。

しかし三十秒というのはあまりに短すぎる。面接時間の日本記録保持者ではないだろうか。日本一というのは嬉しいけれど、私にもミエというものがある。こういう場合の最短記録というのは、女の子がいったい待っているものと場所へもどる時に、あまり名誉さものではない。誰も拍手で迎えてくれたりもしないであろう。

なんとか時間をのばそうと私は骨をおった。

「あのー、お返事はいったいいつ頃いただけるのでしょうかー」

面接の時にはタブーといわれる、語尾を伸ばした話し方をした。

「明日、明日」

男は私意図に反して、非常に省略した言葉でいった。

どうせ落ちることはわかっていたので、私はひどくのろのろと立ち上がり、のろのろと歩いた。これだけがんばっても所要時間は一分三十秒ぐらいであっただろうか。これは、呼び屋で有名な「ウドー音楽事務所」の時であった。

こうしているうちに、みるみる不採用通知の封筒はたまっていく。毎朝ポストをのぞくと、律儀にキチンと私のもとに履歴書は返ってきていた。たまにはどっかで長居をしてくればいいのに……。

ある日のこと、例によって「朝日新聞」を切り抜いて面接に出かけようとした私に、急にクラクラと虚脱感がおそった。そりゃー、そうですよ。このままじゃ賽の河原の小石がわりに履歴書積んでいくようなものだものね。

「あー、やだ、やだ」

どうせもどってくるものを届けに、なんで電車賃かけて行かなきゃならないんだろうと思うのは、ごくごく当然の心理である。

その時、テーブルの上の不採用通知が何通か目に入ったあまり毎日送られてくるので、めんどうくさいから破らずに置いといたものだ。数えてみると八通あった。

「惜しいな、このあいだから破らずにとっときゃ二十通を超えていたものを……」

お金も自信もすごい勢いで目減りしている中、確実に増えているものといったらこれだった。

「よしこれを集められるだけ集めてみよう」

何日ぶりかに私は芽ばえた、非常に建設的な考えだった。

不採用通知のコレクションのために」

と考えると、どんなに遠い会社へも明るい気分で行けた。

日に日に封筒はたまっていく。

こうしてみると、大きさもまちまちで、青、白とあってとてもきれい。通知の内容も、

「貴意にそえず」

という高びしゃなものがあるかと思えば、

「せっかくおいでいただき、まことに申しわけないのですが……」

という長文の、かなり泣かせるものもあった。

「お、今日で二十通になった。あと一歩だな」

あの頃の私って、見る人がみたら、かなり不気味な明るさだったかしら、でも自虐もあそこまでいくと、けっこう楽しいもんですよ。

しかし、私の不採用通知は、四十通を超えたところでストップがかかった。のめり込みそうになってこわくなったのと、とにかく本当に一文無しになったためだ。

私のコレクターの世界に別れをつげて、日払いのバイトに行きはじめた。

私の面接時間の短さと、不採用通知の多さをもって、隠れた記録保持者なのである。