第931冊目  私の財産告白 [単行本]本多 静六 (著)

私の財産告白

私の財産告白

仕事の上手な頼み方


人を使うのには、人の名前を、早く、正しく覚え込むことといったことが、これはなんでもないことのようで、きわめて大切である。

何か部下にものに仕事を頼むとき、いかにその態度が礼を尽くしていようとも、その名前を間違えて呼ぶようなことがあっては、それこそ、百日の説法屁一つで、「なんだい馬鹿にしてやがる」ということになってしまう。態度がいんぎんを極めれば極めるほど変なことになろう。だから、新しく入ったようなもので、不確かな記憶しかなかったら、そっと次席のものにきいてみるとか、職員名簿をひっくりかえしてみるくらい用意が必要となってくるのである。また給仕や少使までいちいちその名を覚えていて、「オイ何々君」と親しく呼びかければ、呼びかけられたものの気持ちは満更でないわけで、取り寄せるように頼んでおいた弁当も、せっかくあたたかいところで運ばれてくるというものである。

そこで私は、部下の人々に仕事を頼む場合、それがどんな些細なことでも、いちいち、正しい名前をハッキリ呼んで、いつもねんごろにいいつけるようにしてきた。またその仕事の内容についてもよく吟味をして、頼まれたものに、なんだいこんなことといわれないようにつとめてきた。

たとえていえば、こんな心遣いである。

若い人々に何かを頼む場合、無理にならない程度に、必ずその人の地位や力量に比して、少し上のものを選ぶようにし、「これはちょっと重要なことだナ、しかしおれにだって大丈夫できるぞ」といった気持ちになれるものを、適材適所に与えるようにした。そうして、丁寧にその内容を説明し、やり方を指示したうえ、本人の腹案を聴き。適度に追求を行って、「ではよろしく」と、懇切に頼むことにしてきたのである。

ところで、こうして命ぜられた仕事はだれしもいささか誇りをもち、かつ責任を感じ、必ずこれを完成しようとベストを尽くす、しかも、その結果は概して良好であるのを例とする。そうして私は、こうしてでき上がった仕事に対して、あくまでも親切に再検討を加え、創意の程度によっては、いつも部下の名前でこれを発表し、学業または事業上の名誉をその人に得させるように心がけてきたのである。