第921冊目  走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫) [ペーパーバック]村上 春樹 (著)

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

小説家にとって重要な資質


小説を書くことについて語ろう。

小説家としてインタビューを受けているときに、「小説家にとってもっとも重要な資質とは何ですか?」という質問をされることがある。小説家にとってもっとも重要な資質は、言うまでもなく才能である。文学的才能がまったくなければ、どれだけ熱心に努力しても小説家にはなれないだろう。これは必要な資質というようりはむしろ前提条件だ。燃料がまったくなければ、どんな立派な自動車も走り出さない。

しかし才能の問題点は、その量や質がほとんどの場合、持ち主にはうまくコントロールできないところにある。量が足りないからちょっと増量したいなと思っても、節約して小出しにしてできるだけ長く使おうと思っても、そう都合良くはいかない。才能というものはこちらの思惑とは関係なく、噴き出したいときに向こうから勝手に噴き出して、出すだけ出して枯渇したらそれで一巻の終わりである。シューベルトモーツァルトみたいに、あるいはある種の詩人やロック・シンガーのように、潤沢な才能を短期間に威勢良く使い切って、ドラマチックに若死して美しい伝説になってしまおうという生き方も、たしかに魅力的ではあるけれど、我々の大半にとっては、あまり参考にはならないだろう。

才能の次に、小説家にとって何が重要な資質かと問われれば、迷うことなく集中力をあげる。自分の持っている限られた量の才能を、必要な一点に集約して注ぎ込める能力。これがなければ、大事なことは何も達成できない。そしてこの力を有効に用いれば、才能の不足や偏在をある程度補うことができる。僕は普段、一日に三時間か四時間、朝のうちに集中して仕事をする。机に向かって、自分の書いているものだけに意識を傾倒する。ほかには何も考えない。ほかには何も見ない。思うのだが、たとえ豊かな才能があったとしても、いくら頭の中に小説的なアイデアが充ち満ちていたとしても、もし(たとえば)虫歯がひどく痛み続けていたら、その作家はたぶん何も書けないのではないか。集中力が、激しい痛みによって阻害されるからだ。集中力がなければ何も達成できないと言うのは、そういう意味合いにおいてである。