第616冊目 負けてたまるか!若者のための仕事論 丹羽宇一郎/著

負けてたまるか! 若者のための仕事論 (朝日新書)

負けてたまるか! 若者のための仕事論 (朝日新書)

目次


序章 若者よ、小さくまとまるな!(アダム・スミスの『国富論』が教える日本の危機
人口減少、高齢化という赤信号 ほか)
第1章 DNAのランプが点灯するまで努力せよ―人は仕事で磨かれる(今の若者は伝書バト?
最初の二年間は授業料を払え ほか)
第2章 本は仕事と人生を深くする―人は読書で磨かれる(「空いた時間」などない
血肉となる本は人それぞれ ほか)
第3章 己を知り、他人を知り、人間社会を知る―人は人で磨かれる(私にとって忘れられない上司
「一切の隠しごとはするな」―人生最大のピンチを救ってくれた言葉 ほか)


川上哲治さんの教え――DNAのランプを灯すには
Download


人間の能力には、ほとんど差がないと私は思っています。よく「自分はこの仕事には向いていない」といった言葉を耳にしますが、私からすれば決してそんなことはありません。人は皆、何事でもできる能力を備えているのです。ただ、気分がのらないとか、その気になるかならないかの違いだけです。


たとえば「私は新聞記者の目指したいのだけど、文章が上手ではないからむいていないのではないか」とか、「私は営業をやってみたいけど、人見知りするから向いてないのではないか」などといった具合に、多くの若い人は考えるようです。取り組む前から、能力がないかどうかを問題にして、「あれはダメ」「これもダメ」と選択肢を狭めてしまう。じつにもったいないことです。


もちろん、目指した分野でどこまで上達するかは、適性の部分が大きいでしょう。しかし、ある程度のレベルまでは、自分の努力次第といっていい。それ以上のレベル、たとえばイチロー選手のようになろうと思ったら、よほど適性がないと難しいかもしれません。


でもイチロー選手のようななれないから諦めるのか。私は、それは違うと思います。「適性のない人」は、営々と努力してようやく、わずかな努力でも成し遂げられる「適性のある人」に近づくというだけのことです。営々と努力続けていたら、いつか才能を開花させるときが来る。私の言葉で言えば、DNAのランプがポッとつくのです。DNAのランプというのは、誰もが持っている才能をイメージした言葉で、そのランプが灯る、つまり才能が花開くかどうかは努力次第というわけで、向いているからやる、向いていないからやならい、ということではないのです。


このDNAのランプは、いつ灯るかわかりません。10年後かもしれないし、明日かもしれない。あるいは数時間後かもしれません。だだ1つ言えるのは、諦めたらそこで終わりということです。もう一生、ランプが灯ることはない。だからこそ一生懸命に努力を続けるしかないのです。


では、どれだけ努力を続けたらDNAのランプがつくのか。残念ながら、その答えはありません。しかし私の考えを言えば、努力を努力と思わないようになるまで、です。


先にも述べた元巨人軍監督の川上哲治さんは、現役時代、「打撃の神様」と言われていました。彼は、1時間に300球をひたすら打ち続ける練習を決して欠かさなかったといいます。大変な努力家で、基本を疎かにはしませんでした。監督時代は、V9を達成し、巨人軍の黄金時代を築きあ上げた人でもあります。


私は彼と親しくなり、いろいろと話を聞いたのですが、このとき川上さんは、練習は3段階あると言っていました。


第1段階は、基本練習をとことんやるということです。ヘトヘトに疲れて倒れるまでやるのだそうです。


もっともプロと言われる人たりは、誰でもこのくらいのことはやっているでしょう。彼のすごいところは、こうして倒れても、まだ練習を続けるということです。これが第2段階です。


それをさらに続けるとどうなるか。疲れを超越して、無我の境地に至るそうです。「三昧境」というもので、我を忘れるです。この第3段階までいくと、川上さんの場合、バッターボックスに立ったらボールが止まって見えたそうです。


周りの人は皆、彼を天才だとか神様だと言うかもしれません。けれど、当の本人は、誰にも負けないくらい、とことん努力しているのです。だからこそ、DNAのランプがつくのです。


あなたにすべてのよきことが雪崩ごとく起きますように♪


3Dリアル自然音「森の静けさ」

3Dリアル自然音「森の静けさ」


今日の声に出したいコトバ


「将棋は頭脳勝負」と言われ、「生まれ持った勘の良さや記憶力がすべて」と思われる方が多いかもしれませんが、実はそうではないんですよ。最後は勉強の「量」で差がつくものだと思っています。――渡辺明


感想


私はこれが得意だとか才能があると思っていることは、よく観察してみると、不得意や才能がないと思っていることより、時間をかけていませんよね。国語ができて数学が苦手だと思っている場合、たいてい数学に接する時間より国語に接する時間のほうが多い。国語は時間をかけているから、成績がグングンよくなり、ますます国語が好きになる。数学は少ししかやっていないから、問題は解けないし成績も下降線をたどる。成績もさがるので、ますますやらなくなる。国語と正反対ですね。


負けてたまるか! 若者のための仕事論 (朝日新書)

負けてたまるか! 若者のための仕事論 (朝日新書)