第3231冊目 FBI捜査官が教える「しぐさ」の心理学 ジョー ナヴァロ (著), マーヴィン カーリンズ (著), 西田 美緒子 (翻訳)


FBI捜査官が教える「しぐさ」の心理学 (河出文庫)

FBI捜査官が教える「しぐさ」の心理学 (河出文庫)


観察眼の乏しい人には、航空機のパイロットが「状況認識」と呼ぶもの、つまり常に自分がどこにいるかという感覚をもつ力が欠けている。そういう人は、周囲で起きていること、時には目の前で起きていることについてさえ、正確なイメージを描ききれていない。たくさんの人であふれかえった初めて目にする部屋に誰かを招き入れ、まわりを見回す時間を与えてから目を閉じてもらい、何を見たかを聞いて見るといい。たいていは部屋に一番目立つ特徴も思い出せないのだから、愕然とするばかりだ。


降って湧いたような人生の一大事に不意打ちを受けてばかりの人に会ったり、そんな記事を読んだりすることが多いのには、本当にがっかりする。訴えることは、たいていいつも同じだ。


「妻が急に、離婚話を切り出したんだ。結婚生活に不満をもっているなんて、まったく気づかなかったよ」


「生徒指導の先生が、息子はもう三年も前からコカインを使ってるって言うのよ。息子に薬物の問題があるなんて、思ってもみなかったわ」


「この男と言い争っていたら、いきなり殴りかかってきた。そんなそぶりはまったく見せなかったのに」


「上司は私の仕事をとても気に入ってくれていると思っていたんです。クビになるなんて、考えもしませんでした」


以上は、自分のまわりの成果を効果的に観察する方法をもまったく知らない男女の言葉だ。しかし実際には、そうした力の不足は当然だとも言える。私たちは、子どもから大人に育つ過程で、他人が見せるノンバーバルな手がかりを観察する方法を教わる機会がない。小学校にも高校にも大学にも、状巨認識を教えるクラスはないのだ。運がよければ充実させるのに役立つ膨大な量の有益な情報を、デートの場面でも、職場でも、家庭でも、見逃してしまうことになる。


さいわい、観察は学ぶことのできる技術だ。一生、不意打ちばかり受けながら暮らす必要はない。しかもそれは技術なのだから、正しいトレーニングと練習によって向上させられる。観察眼が「不自由」だとしても、絶望することはない。もっと入念に周囲の世界を観察しようと、時間と努力を傾ける心づもりがあるなら、この分野の弱点は克服できる。


必要なのは、日常のごく当たり前な暮らしを観察すること、しかも「注意深い観察」をすることだ。身の回りの世界に気づくようになるには、受け身の姿勢を捨てなければならない。意識的に、意図的に行動しなければならない。それには努力もエネルギーを達成しようとする集中力もいる上、力を維持するために絶え間ない練習も必要になる。観察は筋肉に似ている。使えば強くなるし、使わなければ衰えてしまう。観察の筋肉を鍛えれば、身の回りの世界をよりパワフルに解読できるようになるだろう。