第2890冊目 カリスマは誰でもなれる オリビア・フォックス・カバン (著), 矢羽野 薫 (翻訳)


カリスマは誰でもなれる (ノンフィクション単行本)

カリスマは誰でもなれる (ノンフィクション単行本)

  • カリスマは気持ちから


今、このページを読みながら、まばたきを繰り返していることに気がついていただろうか。


たとえ気がついていなくても、あなたはほぼ一定の間隔でまばたきをしていた。


では、口の中で下の重さを感じるだろうか。


足のつま先の位置を意識しているだろうか。


ところで、舌やつま先のことを考えているあいだ、まばたきのことを覚えていただろうか。


私たちの体は自分で気がつかないうちに、数えきれないシグナルを発信しつづけている。これらのシグナルは、呼吸や鼓動と同じように、無意識にコントロールしている肉体的機能の一部だ。すべてを意識してコントロールするにはあまりに多くのボディランゲージを、私たちはつねに使っている。


ボディランゲージのすべてを自分でコントロールしきれないということは、カリスマ的ボディランゲージを意のままに操ることもできないということだ。自分が発信するすべてのシグナルを適切なものにするために、声の細かいトンや、目の周囲の筋肉のこわばりに至るまで、数えきれない要素を同時にコントロールしなければならない。そんなことは不可能だ。カリスマ的ボディランゲージを事細かに調節することはできないのだ。一方で、非言語のシグナルの大半は無意識に行われているのなら、無意識を適切な方向に向けることができれば、問題は解決するだろう。


さらに、ボディランゲージのすべてを意識敵にコントロールできないということは、ボディランゲージが私たちの精神状態を映し出すということだ。顔の表情や声、姿勢など、ボディランゲージのあらゆる要素に、そのときどきの心と感情が反映される。おの流れは意識的にコントロールできないから、頭の中で考えていることがそのままボディランゲージに表れる。


主な感情や、手足の組み方、頭の位置などはコントロールできても、自分が演じようとしていることと精神状態が食い違っていれば、遅かれ早かれ「微表情」が浮かぶ。微表情はほんの一瞬で消えるかもしれないが、見ている相手にはわかる(人は0.017秒で表情を読み取れる)。そして、主な表情と微表情がずれていれば、相手は無意識に感じるだろう。何が違おうと、本能で感じるのだ(スタンフォード大学の研究者が行った実験から、本当の感情を隠そうとすると、相手から脅威に対する反応を引き起こすことがわかっている)。


本物の笑顔と偽りの笑顔の違いを感じたことは、誰でもあるだろう。作り笑いと本物の笑顔の違いは、はっきりと目に見える。本物の笑顔は、顔の2つの筋肉が動く。口の周りの筋肉が口角を引き上げ、目の周りの筋肉が眉頭を緩めて引き下げるのだ。それに対し、作り笑いは口の周りの筋肉(大頬骨筋)しか使わない。笑顔は目の筋肉まで届かないか、届いても本物の笑顔と同じようには動かず、その違いは目で見てわかる。


つまり、心が体の動きに表れ、ほんの一瞬の微表情も相手は見逃さないのなら、カリスマ的な振る舞いは心の中から生じなければならない。