第2853冊目 私の財産告白 本多 静六 (著)


人生と財産―私の財産告白

人生と財産―私の財産告白


西洋の人生訓にも、「汝の上位は常に空席である」というのがある。本当に勉強し、本当に実力を養うもののためには、その進むべき門戸はいつも開かれている。努力の前に閉ざされた扉は一つもない。表門がしまっていても裏門があり、裏門がしまっていても掘を乗り越えるという手もある。


試みに諸君自らの周囲をよくよく見直してみたまえ。一応はどの地位どの椅子も、外見だけはアキなく塞がれてはいるようだが、勉強と実力次第で、何人もそれに取って代れぬものは一つもないのではあるまいか。どれも、これもが、空椅子同様とみればみられるではないか。


それをめざして――あえて実際に取って代わらなくとも――いつでもその地位なり椅子なりに坐れるだけの、勉強をつづけ、実力を養成しておくことは、後進者の義務であり、権利であり、また職業道楽化の卑近な一目標ともいえるではないか。事実それらの椅子は、いずれも地位相当の新しい勉強家や実力者を迎え入れたくてガタガタしているのが、世間一般の現状なのである。


こういったところで、私はいらずらに、時代に逆行した利己主義や我利我利主義の鼻持ちならぬ立身出世主義を鼓吹しようというわけではない。われわれ凡人といえども、われわれ相応のアンビジョンを抱いて、常にその仕事に張りきることの必要をただ説きたいのだ。自らすき好んで卑屈に陥らないで、萎縮しないで、いつも「オレだって」というだけの気概をもって努力をつづけていきたいというのだ。人がこの世に存在して、それぞれ一個の持ち場を守るからには、つとめるべきをつとめ、尽くすべきを尽くして、その力を環境のゆるす限り、自己の拡充発展に精進すべきであることをいいたいのだ。これがすなわち社会進化の基調ともなり、人間進歩の実現ともなるのである。