第2749冊目 ビジネスマンの父より息子への30通の手紙 G.キングスレイ ウォード (著), G.Kingsley Ward (著), 城山 三郎 (翻訳)


ビジネスマンの父より息子への30通の手紙    新潮文庫

ビジネスマンの父より息子への30通の手紙 新潮文庫


このごろ、ことに若者のなかには、人生に意味を見出すことのできない不幸な人びとが多い。おそらく、その原因の大部分は目標の欠如だろう。目標がなければ、それを達成する喜びを感じることもない。何らかの理由で彼らは自分に与えられた可能性を生かすことができないし、また、同じ理由で、いつか鏡をのぞき込んで、フリードリッヒ・ヘベルの言葉をつぶやくだろう。


現実の自分が、もしかしたらなれたかもしれない自分に、悲しげに挨拶をする。


現代の怠惰で不満の多い世代を生み出した原因の大部分は、私たちの比較的高い生活水準である、という人もいるが、これは決して新しいことではない。ギリシャ、ローマ、そのほかすべての文明が、若者をはじめ、多く成人のあいだに、動揺と不幸を経験させている。その主な原因は、生活水準の高さではなく、心を育もうとしないこと、人をつくるのはその人自身という事実を祖足らないこと、意思決定に選択と態度の自由を生かさないこと、責任を受け入れないことである。これらのすべてが生活の一部になったときに初めて、人は自分の存在の意味と目的を見出すだろう。


私の見るところ、多くの人は生き残るために潔く戦おうとはしないで、むしろ逃げている。国の福祉制度、教会、友人、そのほかのさまざまな社会的な支えのかげに逃げ込んでいる。


もちろん、麻薬や避けに逃避する場合もある。成功や失敗の組織が足りないので、困難を乗り越えるための精神力がついていない。この気の毒な人たちは、困難を解消する態度を決めるうえでも、誰もがもっている選択の自由からしか生じないことを、知らないのである。このような人たちは現実を避けて、小説を呼んだり、フィクションのテレビ番組で、主役たちが描く仮想の世界を眺めたりしながら、自分でしたいと思っても、試みる気になれないことを、他人や架空の人物にしてもらって満足している。悲しいことではないか。私がこの人たちに勧めるのは、ノンフィクションを読んで、現実の人間が成し遂げたこと、あるいは成し遂げようとしていることを知り、自分自身に言うことである。「よし、ぼくもやるぞ!」


フランクル博士は、著書「医師と心」のなかで、私よりずっと的確にこういうことを述べている。彼の幸福の定義は達成感である。君も考えてみれば
、そのとおりだと思うだろう。何もしないで幸福になれるとは、自分でもなかなか信じられない。もちろん、健康とすばらしい家族に恵まれている点については別である。幸福は無からつくり出せるものではない。あるいは君をとり囲む生活の基本でさえある物質からつくり出せるものでもない。フランクル博士の言うとおり、私たちが真の幸福感を味わうのは、自分自身に定めた何らかの目標を達成したときである。裏庭の掃除をするといった単純なことでも、仲間からひとかどの地位に選ばれるといった名誉なことでもいい。幸福は誰かを助けることかもしれない。友人でもいいし、自分の知らない人ならなおさらだろう。学校で良い成績をとることでも、自動車の運転を覚えることでも、飛行機の操縦や自転車の乗り方を覚えることでもいい。幸福は何かをすることである。