第2617冊目 プロフェッショナルの条件―いかに成果をあげ、成長するか P・F. ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳)

  • 目標とビジョンをもって行動する――ヴェルディの教訓


こうして週に五日間も、たっぷり暇な夜の時間があった。ハンブルクの有名な市立図書館が勤め先のそばにあった。大学生には自由に本を貸してくれた。そこで私は、丸々一年半、毎日、ドイツ語、英語、フランス語の本を次から次へと読んだ。


週一回はオペラを聴きにいった。ハンブルクオペラ座はヨーロッパでも最高水準にあった。私は見習いで給料はわずかだったが、大学生はオペラを無料で聴くことができた。上演の一時間ほど前に行って並ぶと、開示時間の一〇分ほど前に、売れ残りの安い席の切符がもらえた。そしてある夜、一九世紀の作曲家ヴェルディのオペラを聴いた。一八九三年に書いた最後のオペラ「ファルスタッフ」だった。


今日は、「ファルスタッフ」は、ヴェルディの作品の中でもポピュラーなものの一つになっている。しかし当時は、ほとんど上演されることのない作品だった。歌手にとっても、観客にとっても、難解すぎるとされていた。


私は圧倒された。子供のころから音楽に親しんでいた。当時のウィーンは、音楽がさかんだった。特にオペラはたくさん聴いていた。だが、「ファルスタッフ」は初めてだった。あの夜の衝撃は、その後一度たりとも忘れたことがない。


私は調べた。信じがたい力強さで人生のよろこびを歌いあげるあのオペラは、八〇歳の人の手によるものだった。一八歳の私には、八〇歳という年齢は想像もできなかった。八〇歳の人など、ひとりも知らなかった。平均寿命が五〇歳そこそこだった七〇年前、八〇歳は珍しかった。そして私は、すでにワーグナーと肩を並べる身でありながら、しかも八〇歳という年齢で、なぜ並はずれてむずかしいオペラをもう一曲書くという大変な仕事に取り組んだのかとの問いに答えた彼の言葉を知った。「いつも失敗してきた。だから、もう一度挑戦する必要があった」。私はこの言葉を忘れたことがない。そして心に消すことのできない刻印となった。


ヴェルディ自身は、一八歳のころ、すでに音楽家として名をあげていた。それにひきかえ、私に分かっていることは、綿製品の商人としての成功などありえないということだけだった。年の割には未熟なほうでもあった。経験もなく、実績もなかった。何を得意とし、何をすべきかを知ったのも、一五年ほど経った三〇代初めのことだった。


だが私は、そのときそこで、一生の仕事が何になろうとも、ヴェルディのその言葉を道しるべにしようと決意した。そのとき、いつまでも諦めずに、目標とビジョンをもって自分の道を歩き続けよう、失敗し続けるに違いなくとも完全を求めていこうと決意した。