第2316冊目 カリスマは誰でもなれる オリビア・フォックス・カバン (著), 矢羽野 薫 (翻訳)


カリスマは誰でもなれる (ノンフィクション単行本)

カリスマは誰でもなれる (ノンフィクション単行本)

  • カリスマは気持ちから


今、このページを読みながら、まばたきを繰り返していることに気がついただろうか。


たとえ気がついていなくても、あなたはほぼ一定の間隔でまばたきをしていた。


では、口の中で舌の重さを感じるだろうか。


足のつま先の位置を意識しているだろうか。


ところで、舌やつま先のことを考えているあいだ、まばたきのことを覚えていただろうか。


私たちの体は自分で気がつかないうちに、数えきれないシグナルを発信しつづけている。これらのシグナルは、呼吸や鼓動と同じように、無意識にコントロールしている肉体的機能の一部だ。すべてを意識してコントロールするにはあまりに多くのボディランゲージを、私たちはつねに使っている。


ボディランゲージのすべてを自分でコントロールしきれないということは、カリスマ的なボディランゲージを意のままに操ることもできないということだ。自分が発信するすべてのシグナルを適切なものにするためには、声の細かいトーンや、目の周囲の筋肉のこわばりに至るまで、数えきれない要素を同時にコントロールしなければならない。そんなことは不可能だ。カリスマ的なボディランゲージを事細かに調節することはできないのだ。一方で、非言語のシグナルの大半は無意識に行われているのなら、無意識を適切な方向に向けることができれば、問題は解決するだろう。


さらに、ボディランゲージのすべてを意識的にコントロールできないということは、ボディランゲージが私たちの精神状態を映し出すということだ。顔の表情や声、姿勢など、ボディランゲージのあらゆる要素に、そのときどきの心と感情が反映される。この流れは意識的にコントロールできないから、頭の中で考えていることがそのままボディランゲージに表れる。


主な表情や、手足の組み方、頭の位置などはコントロールできても、自分が演じようとしいることと精神状態が食い違っていれば、遅かれ早かれ「微表情」が浮かぶ。微表情はほんの一瞬で消えるかもしれないが、見ている相手にはわかる(人は0.017秒で表情を読み取れる)。そして、主な表情と微表情がずれていれば、相手は無意識に感じるだろう。何かが違うと、本能で感じるのだ(スタンフォード大学の研究者が行った実験から、本当の感情を隠そうとすると、相手から脅威に対する反応を引き出すことがわかっている)。


本物の笑顔と偽りの笑顔の違いを感じたことは、誰でもあるだろう。作り笑いと本物の笑顔の違いは、はっきりと目に見える。本物の笑顔は、顔の2つの筋肉が動く。口の周りの筋肉が口角を引き上げ、目の周りの筋肉が眉頭を緩めて引き下げるのだ。それに対し、作り笑いは口の周りの筋肉(大頬骨筋)しか使わない。笑顔は目の筋肉まで届かないか、届いても本物の笑顔と同じようには動かず、その違いは目で見てわかる。


つまり、心が体の動きに表れ、ほんの一瞬の微表情も相手は見逃さないのなら、カリスマ的な振る舞いは心の中から生じなければならない。


精神状態から非カリスマ的なら、どんな努力や意志力でも埋め合わせることはできない。心の奥底の考えや感情が外面に表れるのは、時間の問題だ。一方で、精神状態がカリスマ的なら、ふさわしいボディランゲージが自然と流れ出るだろう。そこで、まず、カリスマ的なボディランゲージと振る舞いを生み出すような心の状態を高めるところから始めよう。


まず、カリスマ的な心の状態とはどのようなものか、どうすればそのような状態になれるか、そのような状態を完全に自分のものにするにはどうすればいいか。これらのスキルを学んでから、カリスマ的な振る舞いの訓練をする。この順番が逆になると、厄介な結果を招きかねない。たとえば、重要なプレゼンテーションをまかされたとしよう。本番は順調に進み、あなたは習ったばかりの新しいツールを駆使して、かなりのカリスマを発揮した。しかし突然、誰かがあなたの集中力を乱すような発言をする。あなたは自信が揺らぎ、頭が混乱して、身につけたはずのカリスマのスキルも吹き飛んでしまう。


自分の内面をコントロールする方法を学ばずに、カリスマの外面的なスキルを身につけようとすることは、基礎工事があやふやな家に美しいバルコニーを付け加えるようなものだ。おしゃれなバルコニーだが、たった1回の地震ですべてが崩れ落ちるだろう。精神的に混乱したままでは、学んだばかりの新しいスキルを、いざ必要なときに思い出すことさえできない。それに対し、カリスマの内面的なスキルは、心の状態をコントロールして、外面的なスキルを積み重ねていくために必要な基礎を築く手助けをする。