第2311冊目 カリスマは誰でもなれる オリビア・フォックス・カバン (著), 矢羽野 薫 (翻訳)


カリスマは誰でもなれる (ノンフィクション単行本)

カリスマは誰でもなれる (ノンフィクション単行本)


自分のプレゼンスを意識することに集中しようとしても、心がつねに揺れていることに気がついただろうか。完全なプレゼンスを維持することは、いつも簡単なわけではない。その理由は大きく2つある。


1つ目の理由は、人間の脳が、視覚やにおい、音など、新しい刺激に注意を払うようにできていることだ。脳の回路は、新しい刺激に注意を奪われるように配線されている。集中しようとしても、「こちらのほうが大切かもしれない」「あれに食べられるかもしれない」と気が散りやすい。これは、私たちの祖先にとって生き延びるすべでもあった。2人の男が草原で狩りをしていて、家族に食べさせるアンテロープを探して地平線に目を凝らしている。そのとき遠くで何かが光った。すぐに反応しなかった男は――子孫を残せない。


2つの理由は、現代の社会が気を散らすように助長していることだ。私たちの脳には絶えず刺激が流れ込むため、もともと気が散りやすい傾向に拍車がかかる。その結果、つねに注意力が分散して、ひとつのことに集中できない「連続的な部分的注意力」の状態になりやすい。現代の私たちは何かに完全に集中することはなく、絶えず部分的に気が散っている。


したがって、完全なプレゼンスを示せなくても、自分を責める必要はない。当たり前のことなのだ。プレゼンスは、ほぼすべての人にとって難しいスキルだ。ハーバード大学の心理学者ダニエル・ギルバートが2250人を対象に行った研究によると、普通の人は、1日の半分近くは「心がさまよっている」状態だという。瞑想の達人でさえ、瞑想の最中に気が散るというのだから。


誰かと話しているときに、自分が完全に集中しているか、ほかのことに気が散っていないか、折りに触れて確認しよう(次に何を言うか考えることも、会話に集中していない証拠だ)。先のエクササイズのように自分の呼吸やつま先の感覚に一瞬だけ集中することによって、目の前の瞬間に意識を取り戻し、話をしている相手に集中できるだろう。



しかし裏を返せば、うれしいことに、プレゼンスの能力を少し高めるだけでいいということだ。完全なプレゼンスを持続できる人はほとんどいないのだから、ほんの短い時間ずつでも、ときどき完全なプレゼンスを示すことができれあ大きな変化を起こせるだろう。


私のあるクライアントは、プレゼンスのエクササイズに初めて挑戦した後、次のような経験をした。「気がついたらリラックスして笑顔になっていたのです。私が何も言わなくても、周囲の人が突然、笑顔を返してくるようになりました」


先に紹介した1分間のエクササイズがうまくいかなくても、落ち込む必要はない。プレゼンスのエクササイズをするだけで、あなたのカリスマ性は高まっているのだ。発想の切り替え方を学び、プレゼンスの重要性とプレゼンス不足の代償を理解したあなたは、すでに一歩先を行っている。それだけでも、この本を手に取った価値はあるだろう。