第2073冊目 カリスマは誰でもなれる オリビア・フォックス・カバン (著), 矢羽野 薫 (翻訳)


カリスマは誰でもなれる (ノンフィクション単行本)

カリスマは誰でもなれる (ノンフィクション単行本)

  • カリスマ的な第一印象


第一印象にリベンジのチャンスはない。ほんの数秒、ちらりと見ただけで、人はあなたの社会的レベルや経済的レベル、教育レベルを判断し、成功のレベルさえ推測する。さらに数分もあれば、知性や信頼性、有能さ、親しみやすさ、自信のレベルも判断する。これらの評価は、決まるのは一瞬だが、何年も続くときもある。第一印象は消せないものだ。


では、悪い第一印象を克服することは可能だろうか。もちろん、可能だ。何回か会ううちに、相手が最初にあなたに抱いた感じを変えられることもある。とはいえ、最初からカリスマを発揮していた場合より、はるかに努力が必要なのだが。


一瞬の印象が、どうしてそれほど長く続くのだろうか。理由のひとつは、経済学者のジョン・ガルブレイズによると、「自分の考えを変えるか、あるいは変える必要はないことを証明するかという選択を迫られると、ほぼすべての人が自分の考えを立証することに励む」からだ。行動科学の研究も、ガルブレイスの見方を裏づけている。私たちは誰かについてある判断を下したら、その人と交際を続けながらずっと、自分の判断が正しいことを証明しようとする。見ることも聞くこともすべて、第一印象のフィルターを通しているのだ。


初対面でいい第一印象を与えれば、その影響がずっと続き、その人との関係はあなたに有利に動くだろう。一方で、悪い第一印象を覆せないときもあり、その後の関係は申し分がなくても、会うたびに気まずい雰囲気で終わることも少なくない。法曹関係者は、陪審員に対する第一印象が裁判の結果に大きな影響を及ぼすことを知っているから、最初の瞬間のために何時間もクライアントと準備をする。約束の時間に遅れたとしても、最初の30秒で適切な精神状態とボディランゲージを取り戻すことが肝心だ。その30秒を惜しめば、カリスマとはかけ離れた第一印象を与えかねない。


第一印象がこれほど大きな影響力をもつひとつの理由は、第一印象が実際に「正しい」場合が多いからだ。テキサス大学オースティン校で行われた実験では、1枚の写真を見ただけで、10種類の性格のうち9種類を正確に言い当てることができた。被験者が判断した性格は、外向性、寛容さ、同調性、誠実さ、情緒の安定、好感度、自尊心、宗教、政治的志向だ。


実験に携わった研究者は次のように述べている。「人は他人について、ごく少ない情報をもとに結論を急ぐと昔から教えられてきた。しかし今回の発見で注目すべきなのは、たった1枚の写真にもとづく印象でも、その多くが真実をついていることだ」


数回会っただけでも性格に関する印象がかなりの割合で正しいことは、さらに複数の研究が裏づけられている。ハーバード大学の研究チームは、ある教授と会ったことのない学生たちに、教授の映像(音声なし)を2秒間見せてから能力を評価させた。その結果を、教授の講義を1学期受講した学生たちの評価と比較すると、2組の評価は驚くほど似ていた。つまり、教授の声をまったく聞いたことがなく、講義を1回も受けたことがなくても、この教授が受けるであろう評価をかなり正確に予測できたのだ。


CEOや人事の専門家は、採用面接の最初の数秒間で合否を判断する人も少なくない。あるエグゼクティブに言わせれば、「面接の残りの時間は見せかけにすぎない」。


教授の評価に関する実験を行ったハーバード大学の研究チームによると、第一印象は原始脳の脳幹でつくられる。脳幹は本能や原始反射の源でもあり、私たちの祖先が生き延びるカギを握っている部位でもある。狩猟採集の時代は、視野に入ってきた影が生物か生物でないか、人間か人間でないか、敵か味方かを一瞬で判断しなければならない状況が多かった。「闘うか、逃げるか、安心していいか」と一瞬で決めるのだ。この判断を正確にできる人は、生き延びて、繁栄し、子孫を残す。しかし正確に判断できない人は、誰のタンパク源となる。


こんにちでも、洗練されたビジネスの世界でさえ、狩猟採集時代の生存本能が機能している。初対面の人を前に、私たちは本能的に考える――敵か味方か。どのくらい好意をもっていそうか、その答えを探すために、村落で暮らしている時代に有益だった手がかりに頼る。すなわち、外見と態度だ。


相手が敵になりそうな可能性が少しでもあれば、次に考えるのは、闘うか逃げるかだ。相手に悪意があるなら、悪意を行動に移せる影響力を持っているかどうかを考える。その答えを探すために、私たちの脳は、闘った場合に自分と相手がどちらが勝ちそうかを判断しようとする。身長や体格、年齢、性別なども判断材料になる。


これらの2つの判断を下した後でようやく、実際に何をどのように言うかを考えることになる。