第2126冊目 カリスマは誰でもなれる オリビア・フォックス・カバン (著), 矢羽野 薫 (翻訳)


カリスマは誰でもなれる (ノンフィクション単行本)

カリスマは誰でもなれる (ノンフィクション単行本)

  • 目は心の窓


会話の最中に、相手がずっと自分の肩の後ろを見ているという経験はないだろうか。自分より重要な人か興味深い人が現れたかのように。そんなふうに視線が泳ぐことは、間違いなくカリスマ的ではない。


アイコンタクトはとても重要な要素だ。心のこもったアイコンタクトは、他人に強力な影響を及ぼす。共感を伝え、思慮深さや賢さや知性といった印象を与える。アイコンタクト抜きではカリスマにはなれない。カリスマの達人にとってアイコンタクトは、自分がその場で最も大切な存在だと思わせる強力な武器となる。


人類学者のヘレン・フィッシャーによれば、誰かをじっと見つめていると心拍数が上がり、血液中にフェニルエチルアミン(PEA)が分泌される。PEAはひとめぼれを引き起こす恋愛ホルモンだ。


ある実験で、初対面の人同士を向かい合わせ、相手がまばたきした回数を数えさせた(知っている人とじっと見つめ合うと普通はぎこちない感覚が生じるが、それを感じにくい状況を設定した)。すると数分のうちに、被験者は互いに好意が高まり、情熱的な気持ちを抱く人さえいた。もちろんやりすぎは危険だが、アイコンタクトは明らかに効果がある。


目は、非言語コミュニケーションの最も重要なツールだろう。「目は心の窓」と言われるのは、顔の中でいちばんよく働くパーツであり、したがって表情が最も豊かに表れるからだ。


会話をしている相手がサングラスをかけていたら、表情を読むのは難しい。ポーカーのプロプレーヤーには、サングラスをかける人も少なくない。ギリシャの海運王アリストテレス・オシナスは、難しい商談の際にサングラスをかけ、考えていることを悟られないようにした。


じっと見つめ合っていた相手が目をそらすと、脳の中で「分離不安」と呼ばれるメカニズムが機能する。そうした不安を予防するためには、やりとりの終わりにたっぷり3秒間、見つめ合うといい。短い時間のようだが、実際にやってみると永遠に思えるだろう。練習して習慣づければ、努力いふさわしい見返りがある。わずか数秒の投資で、相手はあなたが自分に心から注意を払ってくれていると感じるのだ。


アイコンタクトをめぐる大きな問題は、恥ずかしくてアイコンタクトが足りなくなることと、注意力が散漫でアイコンタクトが足りなくなることだ。どちらもあなたのカリスマの潜在能力を台無しにしかねない。しかし、双方に同じくらい効果的なテクニックがある。すなわち、感覚を探究するテクニックだ。誰かの目を見つめながら、その瞬間の肉体的感覚に意識を集中させる。このテクニックにより、恥ずかしさが障害になる人は、恥ずかしいという違和感を客観的に見やすくなる。注意力散漫が障害になるという人は、目の前の瞬間に集中しやすくなる。


あなたはパーティーに出席しているとしよう。上司の妻に腕をつかまれ、信じられないほど退屈な話を耳元で延々とされている。聞いているふりはするが、ほかのことを考えたり、あたりを見回したくなるかもしれない。ただし、どちらも外から見てわかり、あなたのカリスマ性を損なうだろう。こんなとき集中力を保つために効果的なのが、プレゼンスのテクニックだ。


プレゼンスに関する洞察やツールは、適切なレベルのアイコンタクトを保つためにも役立つ。ただし、それだけでは十分ではない。カリスマになるためには、適切な種類のアイコンタクトを使いこなさなければならないのだ。私たちの目の周りに表れる緊張の種類と強さは、人々が私たちをどのように感じるかを劇的に変える。


この分野に詳しい神経学者のレ・フェミは、すべては集中力の問題だと考える。狙いを定めて判断を下すような注意力を払っているときは、体内のストレス経路が継続的に軽度の警戒を発する。視線が鋭くなり、ストレス反応が増えて、表情も目も緊張する(警官が目で世の中を見るようなものだ)。この緊張は、私たちが周囲に伝える誠意を大幅に抑制する。


カリスマ的アイコンタクトは、このような鋭い集中力の焦点をぼかす。目と顔の緊張がすぐにほぐれ、ストレス反応が静まるだろう。より広い「ソフトフォーカス」には3段階で切り替える。両目を閉じて、まず、自分の周りの空間に集中する。次に、部屋の空っぽの部分に集中する。そして、宇宙空間全体に集中する。これでソフトフォーカスに切り替わった。